いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
NEW EARTH
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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これまでも、幾度となく経験してきたことではありますが…
自分が書こうとしていた内容を、他の誰かが先に書いてしまっているのを見てしまうと、なんとも調子が狂うものです。
これ以上何を書けばいいって言うんだ(笑)
まぁ、言いたかったのは、そういうことです。
自我の根っこにある「恐れ」。
これがあるがゆえ、僕たちは日常生活の中に置いて絶えずマニュアルに依存しようとしてしまいます。
これに対してはこれ、あれに対してはあれ、という風に、様々な面で「こういう時には、どうすれば?」「このことをどう解釈すべき?」というマニュアル(行動指針だけに留まらず、善悪の基準や、物事の価値の見いだし方などに至るまで、様々な要素を含みます)を保有したがります。
この衝動はひとえに、「自分自身に軸がない」「自己信頼の低さ(今の自分ではダメ)」という感覚が引き金になっています。
自分が感じている素直な気持ちを押しやって、「自分の感覚以上に頼れる何か」を模索し優先する。
「よし、沢山の人が信頼をよせているから、あの人の意見を採用してみよう」
「あの人は私よりも素敵な人生をおくっていそうだから、話を聞いてみよう」
そうやって信頼出来そうな情報を探し出し、活用し、それでダメならば、さらに新しい情報を検索し、アレを試して、コレを試して…
もちろん、実際にその情報・マニュアルによって救われることもあるでしょう。
が、マニュアルは常に「限定された内容」です。
どんな場面においてもオールマイティに使えるものではありません。
ちょっとした状況の変化によって、途端にその効力が薄れる可能性のあるものです。
適用できる条件が限定されているがゆえ、「それがそぐわない状況」に出くわすことはよくあること。
そして、「聞いてた話と違う!このマニュアルじゃ解決できないじゃないか!」と、その情報源に責任を転嫁して、新たな情報探しに舞い戻る。
マニュアル(マニュアル探し)に頼っている限り、このループから抜け出すことはできません。
子育てはこうあるべき、教育はかくあるべき、健康はこうして維持すべき、人生はかくあるべき、仕事でこれは避けるべき、人付き合いはこうであらねば…
「べき」や「ねば」は、思考(マインド)が作り出したマニュアルです。
ハート(自分が本当に感じている素直な気持ち)によるものではありません。
これまでの社会は、「皆が共有できる絶対的なマニュアル」を確立しようとしていました。
自分たちのハート以上に尊重すべき「外側にある規約」を作り、それに準じさせる世の中を作ろうとしていました。
その枠組みに応じていれば「いい人」であり、はみ出す人は「罰せられるべき」と弾かれ。
だから僕たちは「本音と建前」を使い分け、自分の本当の気持ちを押し殺しながら、決められたルール(生き方を制約された社会)の中で生きてきたのです。
『自分の我が儘を通すことではなく、皆が譲り合ってこそ、人の和は保たれるのだ』という考え方。
そしてまた、それが「正しい生き方」として、認められてきたことも事実です。
なのですが。
宇宙の意志(流れ)はもはや、そのベクトルにはありません。
地球は、いままさに、マインド(建前)の次元から、ハート(本音)の次元にシフトしています。
それは、数千年にわたって眠っていた僕たちのハートが目覚め、より活発に躍動を始めるということを意味します。
ハートが目覚めると、人生がイキイキしてきます。
ワクワクが継続する、とにかく楽しい人生の始まりです。
ただし、それにはちょっとだけ超えなければならないものがあります。
それが、「常識(マニュアル)」です。
これまでの時代で培ってきた常識が、通用しなくなってしまいます。
いや、もっと言えば「通用しない」どころか、その存在が「人生においての足枷」になってしまうのです。
ハートが目覚めるということは、本音を押し殺し建前を優先してきた世の中から、建前が通用しない本音だけの世界に移行することに繋がるからです。
これから先も、マニュアルを活用することは可能です。
しかしながら、それを握り締めつづけていればいるほど、より生きづらい道のりになっていきます。
過酷な人生をお望みなのであれば、そちらをお進みください。
もし「NEW EARTH」の流れにのりたいのであれば、ハートの声に身をあずけてみてください。
そのコツの一つは、先日お話した「嬉しい 楽しい 大好き」というアンテナの張り方です。
そして、自己信頼を取り戻していきましょう。
それは、「自己信頼するに値する自分になる。向上する」ことではなく、例え何かが欠落しているように感じられようと「いまのままの自分をそのまま信頼していいのだ」という理解です。
…
……
僕の話も、こういうカタチでお話している以上、どうしても、「情報」「マニュアル」としての見え方になってしまいがちです。
でもどうか、言葉そのものではなく、その向こうにあるものに目を向けていただけたらと思います。
今年も一年、沢山のアクセス・コメントをありがとうございました。
←読んだからには押してしかるべき。(←ほら、なんかちょっと、イラッとするよねw)
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これまでも、幾度となく経験してきたことではありますが…
自分が書こうとしていた内容を、他の誰かが先に書いてしまっているのを見てしまうと、なんとも調子が狂うものです。
これ以上何を書けばいいって言うんだ(笑)
まぁ、言いたかったのは、そういうことです。
自我の根っこにある「恐れ」。
これがあるがゆえ、僕たちは日常生活の中に置いて絶えずマニュアルに依存しようとしてしまいます。
これに対してはこれ、あれに対してはあれ、という風に、様々な面で「こういう時には、どうすれば?」「このことをどう解釈すべき?」というマニュアル(行動指針だけに留まらず、善悪の基準や、物事の価値の見いだし方などに至るまで、様々な要素を含みます)を保有したがります。
この衝動はひとえに、「自分自身に軸がない」「自己信頼の低さ(今の自分ではダメ)」という感覚が引き金になっています。
自分が感じている素直な気持ちを押しやって、「自分の感覚以上に頼れる何か」を模索し優先する。
「よし、沢山の人が信頼をよせているから、あの人の意見を採用してみよう」
「あの人は私よりも素敵な人生をおくっていそうだから、話を聞いてみよう」
そうやって信頼出来そうな情報を探し出し、活用し、それでダメならば、さらに新しい情報を検索し、アレを試して、コレを試して…
もちろん、実際にその情報・マニュアルによって救われることもあるでしょう。
が、マニュアルは常に「限定された内容」です。
どんな場面においてもオールマイティに使えるものではありません。
ちょっとした状況の変化によって、途端にその効力が薄れる可能性のあるものです。
適用できる条件が限定されているがゆえ、「それがそぐわない状況」に出くわすことはよくあること。
そして、「聞いてた話と違う!このマニュアルじゃ解決できないじゃないか!」と、その情報源に責任を転嫁して、新たな情報探しに舞い戻る。
マニュアル(マニュアル探し)に頼っている限り、このループから抜け出すことはできません。
子育てはこうあるべき、教育はかくあるべき、健康はこうして維持すべき、人生はかくあるべき、仕事でこれは避けるべき、人付き合いはこうであらねば…
「べき」や「ねば」は、思考(マインド)が作り出したマニュアルです。
ハート(自分が本当に感じている素直な気持ち)によるものではありません。
これまでの社会は、「皆が共有できる絶対的なマニュアル」を確立しようとしていました。
自分たちのハート以上に尊重すべき「外側にある規約」を作り、それに準じさせる世の中を作ろうとしていました。
その枠組みに応じていれば「いい人」であり、はみ出す人は「罰せられるべき」と弾かれ。
だから僕たちは「本音と建前」を使い分け、自分の本当の気持ちを押し殺しながら、決められたルール(生き方を制約された社会)の中で生きてきたのです。
『自分の我が儘を通すことではなく、皆が譲り合ってこそ、人の和は保たれるのだ』という考え方。
そしてまた、それが「正しい生き方」として、認められてきたことも事実です。
なのですが。
宇宙の意志(流れ)はもはや、そのベクトルにはありません。
地球は、いままさに、マインド(建前)の次元から、ハート(本音)の次元にシフトしています。
それは、数千年にわたって眠っていた僕たちのハートが目覚め、より活発に躍動を始めるということを意味します。
ハートが目覚めると、人生がイキイキしてきます。
ワクワクが継続する、とにかく楽しい人生の始まりです。
ただし、それにはちょっとだけ超えなければならないものがあります。
それが、「常識(マニュアル)」です。
これまでの時代で培ってきた常識が、通用しなくなってしまいます。
いや、もっと言えば「通用しない」どころか、その存在が「人生においての足枷」になってしまうのです。
ハートが目覚めるということは、本音を押し殺し建前を優先してきた世の中から、建前が通用しない本音だけの世界に移行することに繋がるからです。
これから先も、マニュアルを活用することは可能です。
しかしながら、それを握り締めつづけていればいるほど、より生きづらい道のりになっていきます。
過酷な人生をお望みなのであれば、そちらをお進みください。
もし「NEW EARTH」の流れにのりたいのであれば、ハートの声に身をあずけてみてください。
そのコツの一つは、先日お話した「嬉しい 楽しい 大好き」というアンテナの張り方です。
そして、自己信頼を取り戻していきましょう。
それは、「自己信頼するに値する自分になる。向上する」ことではなく、例え何かが欠落しているように感じられようと「いまのままの自分をそのまま信頼していいのだ」という理解です。
…
……
僕の話も、こういうカタチでお話している以上、どうしても、「情報」「マニュアル」としての見え方になってしまいがちです。
でもどうか、言葉そのものではなく、その向こうにあるものに目を向けていただけたらと思います。
今年も一年、沢山のアクセス・コメントをありがとうございました。
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