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青い鳥

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。

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「幸福」は、何かを得ることによって生まれるものではありません。

「不幸(満たされない気持ち)」の不在によってもたらされるものです。


「不在」によってもたらされるのですから、それを「得る」ことで実現しようとは思わないでください。


「幸せ」というものが、どこかに存在しているわけではないのです。

どこかに存在しているわけではないのですから、探しても見つかりません。

不幸がない、その「状態」のことなのですから、どこかから持ってくる必要なんてないんです。

「幸せが必要」なのではなく、「不幸が不要」なのです。

「幸せが足りない」のではありません。「不幸が多すぎる」のです。


「幸せ」を得ようとはしないでください。

ただ、大事に抱え続けている「不幸」を手放してください。



こういうお話をすると、ついで「どうやって手放せばいいのですか?」と聞かれます。

そういった質問が生まれる方に最初に気づいて欲しいのは、その質問自体が「不幸を抱え続けようとしているからこそ出る」問いだということ。

そして、「私は不幸だ」と言いつつ、その「不幸」がなんであるかが、捉え切れていないということです。


もし今、自分がウンコを握っていることに気づいたとして。

不快だと思ったなら、その握っているウンコを手放せばいい話です。

どうやってもこうやってもありません。

自分で握っているウンコを手放すのに、「どうやって手放せばいいのですか?」なんて質問は出ません。握り締めることをやめるだけです。

むしろ不快なら、「手放すな」と言われても手放したくなるでしょう。

本来「手放す」というのは、それほどに簡単なものです。

自分にとって本当に要らないものだと感じたなら、それを手放すことは、誰にでも実現可能。

特別な教養も、特殊な才能も、血と汗のにじむ訓練も、誰かの命令も必要ありません。


つまり、「手放せない」のは、そのための方法論を知らないのではなく、手放す「対象」が分かっていないか、単に「手放したくない」という思いがあるからに他なりません。




「あなたは、あなたのままでいいんですよ」と言われて、素直に「そうですよね、私のままでいいんですよね!あっ、問題なんて最初からなかった!(笑)」と、心から理解・納得してくれる人はあまりいません。


大抵は、「そんななずはない!」と、沢山の「このままでいいわけがない理由」を提示します。

「いかに自分が他者や社会(環境や境遇)の被害に遭っているか」を挙げていくその過程が、自らの手で「被害者としての私(という役回り)」を確固たるものにしているのだとは気づいていません。

時には、いま自分が抱えている問題とは何の関連もない時事問題なども引き合いに出して、「このままでいいわけがない理由」を正当化しようとします。


結局、僕がどんなにお話しようとも、その人は「このままでいいわけがない(私には常に何かが足りない)」というその姿勢を貫きたいのです。一生懸命「不幸であるところの私」を表現したいのです。

中には、「私を幸せに出来るものならしてみるがいい」と言わんばかりの姿勢で迫る人も少なくありません。

そこまでいくともう、口では幸福でありたいと願いつつ、行動としてやっているのは「不幸な私」のアピールです。


「どうだ!私はこんなに不幸なんだ、すごいだろう!見たことないだろう!」ってアピールされても、ねぇ(笑)

「そうですね、アナタは本当に不幸なんですね。お気の毒です」と、僕に認められたところで何にもならないじゃないですか。

それで喜ぶのはその人の「自我(特別意識)」だけです。


「自我」はいわば、自信のなさの塊ですから、「自分が不幸である」というそのことにすら、自信がないんです。

で、沢山の人に「不幸である」という認定を受けることで、「不幸な私」というアイデンティティを確立したがっちゃう。

ましてや「幸せを説く大先生」のお力を持ってしても「幸せになれない私」なら、自分の不幸にも絶対の自信が持てます。

「やった!先生の幸せ力に、私の不幸力が勝った!」という、変な誇りです(笑)。


だからね、誰もあなたを幸せにしてはくれません。

「僕がアナタを幸せにしますから!」っていうプロポーズの言葉は、その気持ちが本当であっても、実現できるものではありません。

あなたを幸せに出来るのは、あなた以外にいないのです。


僕がお話していることは、もうそろそろ、不幸を抱え続けることにエネルギーを費やすのはやめましょうよ、ということです。


「幸せになろう」とするその前に、「不幸でありつづけよう」とする自分のクセに気づきましょう。


「どうやって気づくんですか?」

その質問がクセです(笑)


どうやってもこうやってもありません。

幸せになること(不幸を手放すこと)に「プロセス」はないんです。


ウンコを手放すのは、手を放すだけです。最初の一歩がそのままゴールです。

それと一緒。

だからそこに「条件」も「過程」もありません。

「状況を変える」となればプロセスを必要としますが、「不幸を手放す」なら一瞬です。

ある状況と、「不幸」という観念を結び付けなければいいだけです。

「幸福になる条件」を持たなければいいだけです。


かつての記事、本にも書いたとおりです。


*****

お金がなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

頭が悪くたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

体力がなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

才能がなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

努力が足りなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

運がなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

計画性がなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

感謝が足りなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

愛がなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

性格が悪くたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

誰も認めてくれなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

ずっと不景気でも、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

良いことをしてなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

悪さばかりしていたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

エロい事ばっかり考えてたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない?

君よりも恵まれない人が沢山いても、君が幸せになっちゃってもいいんじゃない?

*****


チルチルミチルの物語と同じ。

青い鳥は、もとから我が家にいるのです。





【トークライブ・インフォメーション】


◎もっと あの世に聞いた、この世の仕組み in 福岡

こちらは、下記の実行委員会宛にメールでお申し込みください。

【日時】7月28日(土)18:15~20:45(17:45開場)

【会場】ももちパレス小ホール
    福岡県福岡市早良区百道2丁目3-15
    ・地下鉄藤崎駅下車すぐ

【料金】お一人様 3,000円

【お申し込み・お問い合わせ】雲黒斎講演会 in 福岡実行委員会

    un.kokusai.fukuoka@gmail.com

    氏名、希望枚数、連絡先電話番号をお書きのうえ、上記アドレスへお申し込み下さい。
    受付後、お申し込みいただいたアドレスへ詳細を返信いたします。
    ※迷惑メール拒否設定等をご確認のうえ、返信メールを受け取れるようお願いします。



【7月21日19:00 追記】

「阿雲の呼吸 in 名古屋」に若干の空席が出来ました。


下記リンク先、または、お近くのファミリーマート(Famiポート)でお買い求めください。

※システムの都合上、予約のキャンセルは可能ですが、ご購入後のチケットの払い戻しは出来ませんので、ご了承のうえお買い求めください。

◎8月5日(日) 阿雲の呼吸 in 名古屋 (携帯サイトはこちら


《パソコン・携帯からの購入方法がわからない方は、お近くのファミリーマートさんでもご購入いただけます。》

ファミリーマート店内にあるマルチメディア情報端末「Famiポート」で「アウンノコキュウ」を検索してください。

詳しくは、こちらのページの『チケットを探して買う場合』をご参照ください。



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