死の淵を見た男・・・・あの日何があったか

2021年03月17日 | 日々のこと

お彼岸の入りです。

朝、お団子を作って仏様にあげました。ついでに線香立の灰をきれいにします。

これは年に4~5回程。義母が仏壇まで行けなくなって、お線香の減りが遅くなりました。

 

先日の金曜ロードショーでしたか、「FUKUSHIMA」が放映されました。

途中から見始めたのですが、驚きがいっぱい。

あの当時、私が東電の原発事故の内容や事情をどの程度分かっていたのか。

忘れてしまっていたのか。

あの当時・・・・東電で起きていたこと。

やっぱりわかっていなかっただろうな・・・・多くの方も。

日本から外国人が出て行ったのも、こういう事態を想定していたアメリカは事態が分かっていたのかも。

私が思っていた以上に、危険な状態だったんだ。

官房長官・・・・でしたっけ・・・・の繰り返された「直ちには・・・・」の言葉に危険がないを信じていた、いや信じたかったかも。

事態がわからないのは、私だけでなく、政府から始まって全員でしょう、東電の現場で闘っていた人たち以外は。

映画を観終わって、あの時何がどうなっていたのか、知っておきたいと思いました。

それで「死の淵を見た男」・・・吉田昌郎と福島第一原発・・・・門田隆将著を

読みました。

最後の注水が効かなければ、チェリノブイノの10倍の放射能が放出されていたということ。

そうなると日本は3分割され、真ん中には人が住めない・・・・・。

狭い日本・・・・私たちはどこへ行けばいい・・・・

そうなると、近在にある別の原子力発電に人も近づけずに、同様なことが起きたかも。

 

地震や津波、さらにテロと、事故が発生する可能性はゼロではない。

我が国だけの問題ではない。中国の沿岸にも、たくさんの原発があって、風下の我が国は、そちらの心配までしなくてはならないかもね。

あの時、吉田所長始め、東電の社員や自衛隊、関連会社の社員が決死の覚悟で、注水を続けたことにより、あれ以上の最悪の事態は回避されました。

10年経っても元の生活に戻れない人たちが大勢います。

それでも、まだ原発を続けますか。

トイレのない住宅に私たちはまだ住み続けますか。

夜中の読書で、目が冴え冴えとしてしまいました。

鉄腕アトム・・・・なんだよね、私の原子力は。

作者にそんな意図はなかったでしょうけれど、安心・安全を信じていて何の疑いがないままにきて、3.11まで我が国に原発が幾つあるかも気にもせずにいました。

オイルショツク当時の節電が、いくらでもジャンジャン使ってもいい時代になっても、何の疑問も持たずにね。

次の世代のために、やっぱり「忘れてはならない」ことがあるんだね。

お読みいただきありがとうございました。

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コメント (7)
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