私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

山形紀行

2014-05-31 15:40:54 | お出掛け日記
毎年この季節(年度替わり)は仕事が薄く部屋の片づけをしたりして、OFFを過ごしているのだけど、昨年母を連れて母の郷里山形へ行った事から今年も出かける事に成り準備をしていました。
今年に限って、ギリギリまで現場仕事場が入ったりして昨年とは様相が違う気がするのでした。

栃木在住の従姉夫婦が途中から合流(車に乗せて行く)するので愛車レガシィの洗車を念入りにし車内清掃に掃除機まで掛け準備は完璧だと思っていた。(結果的には数々の忘れ物が有り、現地調達することに成る)

-*-*-

毎年米沢を通る度に「牛肉を食べたい」と呟いていたら(他人には大きな声に聞こえた様です)今回見事に願いが通じ肉屋直営店で「すき焼き」を食べる事になり、握るハンドルも軽くなるのでした。



いつもは小食の母もこの時ばかりは箸を伸ばし美味しい料理に満足の様で今回の旅が良い感じで始まった事を感じました。久しぶりに美味しい牛肉を食べる事が出来てお腹が苦しくなりました。いつもの牛肉と違って柔らかくて多少煮過ぎても固くならないから見事です。最後まで美味しく頂き栃木の従姉夫婦に感謝です。(笑)


肉屋まで迎えに来てくれた山形在住の従兄(元観光バスの運転手)に何処かお手軽な観光地を尋ねると日本三大熊野神社と提案が有り旅行気分が高まって来ました。



見事な大銀杏に感動します。



そこで、三大熊野神社を検索すると以下の事が出てきました。


熊野速玉大社
熊野本宮大社
熊野那智大社
熊野神社 (南陽市) : 山形県南陽市←
熊野皇大神社 : 長野県北佐久郡軽井沢町

以上の神社は「日本三熊野」と総称され、熊野信仰の中心となっている。(加藤隆久、2008、『熊野大神』、戎光祥出版)



でもここは熊野大社だったりするので「熊野神社」の表記は間違っている様です。

熊野大社は、大同元年(806年)、平城天皇の勅命により再建されたと伝えられています。
その後も時の天皇、法皇の恩恵をうけ、のちに天台宗・真言宗・羽黒修験・神道の四派も加わり、
熊野修験の霊場としても栄えました。(熊野大社ホームページより)




1601年(慶長6年)、上杉景勝は米沢30万石に減封されます。
直江兼続が大旦那として熊野大社の修復にあたったのは、 その3年後の慶長9(1604)年5月のことでした。
興味深いのは、当社に伝わる『一山古今日記』に、直江兼続の造営の棟札 と伊達政宗の棟札が並べて書き上げられていることです。
歴史の奔流のなかで対立したこの二人の武将が熊野大社の 歴史に登場するのは不思議な縁というべきものでしょう。
なお、熊野大社には、伊達正宗の安堵状が残されています。(熊野大社ホームページより)




拝殿


神社と大社の違いが分かり難いですが、どうやら大きな神社が大社の事のようです。
昔は、大社とは「出雲大社」の事だったそうだ。




本殿裏手に立てられてある幟。



本殿の裏手に有る波の彫刻の中に三羽の兎が掘られて有り、それを見つけると
「(お金に困らない、)願い事が叶う、幸せになれる」とある。

また注意事項として他人に在処を教えたり教わったりしてはいけないそうだ。




幟によると此処に有るそうだ。



同じ場所の反対側。

幸い三羽とも見つける事が出来ました。
お金に困らないとあったけど、お金持ちに成るって事じゃ無くてお金が有っても無くても困らないって事ですから。(笑)

もし見つける事が出来てもご内密に。
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