芥川龍之介が行った江尻海水浴場は何処に有ったのだろうか。
浜田今昔志に興味深い地図を見つけた。この地図は上が東に成って居るので少し分かり難いけど石垣と豊年グランドの間が江尻海水浴場と記されている。更に見て行くとレンガ工場は(現市役所)とも書かれており、そうだったのかと思っていると羽衣牧場が向かいに書き込まれている。でも牧場は教会の向かいだし、レンガ工場と教会はもっと離れている。(写真で確認)
その辺りは置いといて海水浴場が石垣から右である事が分かれば十分です。
そこで大正4年の地図を引っ張り出すと(今度は北が上)海岸線に石垣が確認できる。古い地図では石垣の先端まで線路の記号が書き込まれていたりするが、其処が海水浴場で有る事がハッキリした。
昔の痕跡が古い道でしか分からなかったので、道の長さを按分して現在の地図に再現してみた。赤い破線が海岸線である。
随分西寄りで現在の歩道から直ぐ海だった事に成る。
その現場写真がこれだ。
海岸線は写真奥に向かって伸び、右が海で左が砂浜で遠浅の海だったらしい。
石垣が有った辺りから海水浴場を振り返る。
以前思った印象よりも広い。江尻駅に400人降り立った(明治20年ころ)と言うからその繁盛ぶりが伺える。
明治40年ころに成ると新橋発の臨時列車が走り例年になく賑わったらしい。
その江尻駅が有ったと思われる場所が此処だ。(真砂踏切)
この踏切が駅の存在を証明している。然も人が通るだけの幅が改札を通った後ホームまでの通路と思われる。
以前清水ふるさと塾で歩いた時に、此処が海水浴場と言われた岸壁が何と無くピンと来なかったのはその根拠が何も示されなかったからじゃないだろうか。
今回自分で検証してみると、その現実味が湧いて来るから可笑しい。
浜田今昔志に興味深い地図を見つけた。この地図は上が東に成って居るので少し分かり難いけど石垣と豊年グランドの間が江尻海水浴場と記されている。更に見て行くとレンガ工場は(現市役所)とも書かれており、そうだったのかと思っていると羽衣牧場が向かいに書き込まれている。でも牧場は教会の向かいだし、レンガ工場と教会はもっと離れている。(写真で確認)
その辺りは置いといて海水浴場が石垣から右である事が分かれば十分です。
そこで大正4年の地図を引っ張り出すと(今度は北が上)海岸線に石垣が確認できる。古い地図では石垣の先端まで線路の記号が書き込まれていたりするが、其処が海水浴場で有る事がハッキリした。
昔の痕跡が古い道でしか分からなかったので、道の長さを按分して現在の地図に再現してみた。赤い破線が海岸線である。
随分西寄りで現在の歩道から直ぐ海だった事に成る。
その現場写真がこれだ。
海岸線は写真奥に向かって伸び、右が海で左が砂浜で遠浅の海だったらしい。
石垣が有った辺りから海水浴場を振り返る。
以前思った印象よりも広い。江尻駅に400人降り立った(明治20年ころ)と言うからその繁盛ぶりが伺える。
明治40年ころに成ると新橋発の臨時列車が走り例年になく賑わったらしい。
その江尻駅が有ったと思われる場所が此処だ。(真砂踏切)
この踏切が駅の存在を証明している。然も人が通るだけの幅が改札を通った後ホームまでの通路と思われる。
以前清水ふるさと塾で歩いた時に、此処が海水浴場と言われた岸壁が何と無くピンと来なかったのはその根拠が何も示されなかったからじゃないだろうか。
今回自分で検証してみると、その現実味が湧いて来るから可笑しい。
すばらしい技術をお持ちですね。
お陰様でずいぶんリアルに想像できました。
街と町の写真も数多く、とても楽しいです。
当時の痕跡を探して街歩きをしています。
海水浴場の時は魚市場の駐車場に石垣跡の様なひび割れがアスファルトに有ればと思って何度も見てみましたが全くありませんでした。
でも、其れなりに実証出来たと思っているので楽しかったです。