を読む。フラウィウス・ヨセフス著。ちくま学芸文庫。
ローマに降ったユダヤの指揮官がギリシャ語で書いた、歴史記述。旧約聖書のダイジェスト版的な内容で、すらすら読めるのがいい。いろいろと、気になる点があるが・・・・・・。
まず、「 神のキャラ 」 が途中で変わってしまう。最初に出てきて人間を創造する神は、かなりいい加減だ。大洪水で人類を滅ぼした後、彼はノアに向かってこう言い訳する。「 もしわたしが、一度つくった人間を後で抹殺してしまう意図をはじめからもっていればこれほど馬鹿げた話はなく、わたしは人間に生を与えはしなかったであろう。・・・・・・彼らの横柄な態度のために余儀なくこの厳しい罰を科したのである 」。
また、この神は人間の策略に引っかかってしまう。兄のエサウになりすましたヤコブに、将来に渡る繁栄を約束してしまうのだ。
「 全知全能 」 という言葉からは、ほど遠い。
これが、モーセの登場とともに一変する。神はシナイ山に住んでいて、ユダヤ人に律法を与え、ユダヤ人の同盟者として繁栄を約束する。そして、「 摂理 」 という言葉がクローズアップされるようになる。モーセは神に祈ってこう言う。「 神よ、どうかもう一度明白に示して下さい。すべてはあなたの摂理によるのであり、偶然や僥倖によって起こるものはこの世に何ひとつなく、あなたの意志だけがすべてを支配してその目的を遂げさせるのだということを 」。
ヨセフスは最初に、これはモーセの言葉だと書いているが、「 創世記 」 の作者と 「 出エジプト記 」 の作者は、 どうやら別人らしい。