富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「教会の祈りと天使による牢からの脱出」 使徒言行録12章1~19節

2013-07-02 20:46:22 | 礼拝説教

日本キリスト教 富 谷 教 会
年間標語「何事も祈って歩む、一年を送ろう」
聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6
週  報 
聖霊降臨節第七主日   2013年6月30日(日)
       5時~5時50分 
礼 拝 順 序        
            司会 永井 慎一兄
前 奏          奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 492(み神をたたえる心こそは)
交読詩編  138(わたしは心を尽くして感謝し)
主の祈り   93-5、A
使徒信条   93-4、A
聖 書  使徒言行録12章1~19節
説 教「教会の祈りと天使による牢からの脱出」
辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 540(主イェスにより)
献 金
感謝祈祷          
頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 2013年7月7日(日)午後5時~5時50分
聖書  使徒言行録13章26-42
説教  「ペトロの語った福音」
交読詩編 16 讃美歌 288 449 27
本日の聖書 使徒言行録12章1~19節
1そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、2ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。3そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。4ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。5こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
6ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。7すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。8天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。9それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。10第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。11ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」 12こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。13門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。14ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。15人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。16しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。17ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
18夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。19ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。

本日の説教
 使徒言行録8章では、ユダヤ教のエルサレム神殿を批判したステファノが殺され、その結果、主にギリシャ語を話したヘレニストのキリスト者が、ユダヤ教社会から迫害され、エルサレムから散らされていきました。けれども、まだ、その段階では、主にヘブライ語を話したキリスト者、ペトロを始めとするイエスの弟子たち、従来のユダヤ教の枠内でイエス・キリストを信じようとするエルサレム教会の人たちは、ユダヤ教社会から迫害されてはいなかったのです。しかし、今日の聖書箇所においては、キリスト者への迫害の手が、とうとうエルサレムのキリスト教会にまで及んでくるのです。
使徒言行録12章1節に、「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」とあります。この出来事は、紀元後42、3年の頃に起きたと考えられています。主イエスが十字架にお架(か)かりになり復活されたのが30年頃、ステファノの殉教は32年頃のことです。ですから、この出来事はステファノの殉教から10年ほど後に起きたということになります。十二使徒の中で最初の殉教者が出たのです。
 「ヘロデ王」とありますが、新約聖書には三人のヘロデ王が出てこます。このヘロデ王は、主イエスがお生まれになった時2歳以下の男の子を皆殺しにしたヘロデ王、ヘロデ大王と呼ばれる王です。また、主イエスを十字架に架けた時のヘロデ王は、ヘロデ・アンティパスで、ヘロデ大王の息子です。8章に記されている使徒ヤコブを殺したヘロデ王は、ヘロデ大王の孫であり、ヘロデ・アンティパスの甥であたる、ヘロデ・アグリッパ1世です。このヘロデ・アグリッパ1世は、時のローマ皇帝クラウディウスに気に入られ、ヘロデ大王と同じくパレスチナ全域を支配することになった王でした。この王は41年に全パレスチナを支配するようになりましたが、しかし44年、このヤコブ殺害の一年後には死んでしまいま
す。それは20節以下に記されています。
 彼らは皆、ヘロデ王家に連なる人々ですが、彼らがユダヤを支配することができたのは、ローマ帝国の後ろ楯によることです。そもそもこのヘロデ家の出身は、ユダヤの南のイドマヤ地方です。イドマヤという呼び方は旧約聖書に出て来るエドムから来ており、エドム人の子孫です。つまり彼らは純粋なユダヤ人ではないわけで、そういう一族が、ローマ帝国の力によって王となっているわけですから、ユダヤ人たちからは、ユダヤを治める正統な王家としては認められていませんでした。それゆえにヘロデ王家は代々、なんとかユダヤ人たちの支持を得ようと努力してきたのです。あのヘロデ大王が、エルサレム神殿を何十年もの歳月を費やして壮麗なものに改築したのも、そのためでした。ヘロデ・アグリッパ・世キリスト教会への迫害を始めたのはそのためでした。
 ヘロデ・アグリッパ1世は、使徒ヤコブ殺害がユダヤ人に喜ばれるのを見て、次にペトロを捕らえました。この時、「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。(5節)」とあります。ペトロはこれまで二回獄に捕らわれたことがありました。一回目は4章で、足の不自由な人をいやして、神殿で説教した後に捕らえられたのですが、この時は脅されただけで釈放されました。もう一回は5章17節以下にあります。この時ペトロは大祭司たちによって捕らえられますが、夜中に天使によって牢を開けられ、助けられます。しかし、天使に「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい。」と告げられ、ペトロは再び神殿で教え始めました。当然また捕らえられたのですが、この時は鞭で打たれ、今後イエスの名によって話してはならないと命じられて釈放されました。その時から10年経っています。しかし、今度は国家権力を握る
ヘロデ・アグリッパ1世です。使徒ヤコブは殺害されています。教会ではこの時、祈りました。その時の思いは、今度も神様に遣わされた天使によって助けられるのではないかという期待と、今度こそもうダメではないかという思いとの入り交じったものではなかったかと思います。 
 6節以下には、ペトロがこの絶体絶命の危機の中から、神様の力によって解放され、救われたことが語られています。これは人間の力や可能性を全く越えた、神様のみ業です。牢に入れられたペトロを助け出すために天使が遣わされました。6節「ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。」とあります。ヘロデがペトロを牢から引き出そうとしていた前夜です。牢から引き出されれば、きっとペトロは殺されることになったでしょう。その前夜です。ペトロは二本の鎖でつながれていました。天使がペトロの所にやって来て、ペトロのわき腹をつついて起こします。そして、「急いで起き上がりなさい。」と告げたのです。すると、鎖はペトロの両手から外れて落ちました。天使はペトロに、「帯を締め、履物を履きなさい。」「上着を着て、ついて来なさい。」と告げます。ペトロは天使が言われるまま、天使について行きました。ペトロは何が起きているのか分かりません。「幻を見ているのだと思った」程でした。牢を出て、第一衛兵所の前を通り、第二衛兵所の前を通ります。兵士は誰も気付きません。そして、ついに町に出る門まで来ると、門がひとりでに開きました。ペトロは町に出て、進んで行きました。すると突然、天使はペトロから離れました。
 ここでペトロは初めて我に返りました。11節「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
  本当に大変な時は、次から次に起きてくることに対応するのに精一杯で、神様の助けと守りの中にあることさえよく分からない。しかし、一段落ついて振り返ってみると、あの時あの人に出会っていなければ、あのタイミングで事が起きていなければ、今こうして安んじてはいられなかったな。あれもこれも主の守り、主の助けだったのだと分かる。そういうことだったのではないかと思います。
 ペトロは天使によって牢から脱出することが出来ました。そこで彼が向かった先は、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家でした。このマルコは、マルコによる福音書の記者であり、後にパウロやバルナバと伝道旅行に行った人です。12節後半「そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」とありますから、多分、この家が家庭集会の場であり、また礼拝堂の役割を果たしていたのではないかと思います。
 ロデという女中がまず出て来ました。ペトロの声だと分かると、彼女は喜びのあまり門も開けずに家に駆け込み、ペトロが来ている、そう告げました。この時家の中にいた人々、彼らはキリスト者であり、ペトロが解放されることを願い祈っていた人たちです。15節「人々は、『あなたは気が変になっているのだ』と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、『それはペトロを守る天使だろう』と言い出した。」彼らは、女中ロデが、ペトロが来ている、と言うのをまるで信用しないのです。そして、「ペトロを守る天使だろう。」とまで言い出します。彼らは祈っていたけれど、本当にペトロが助けられるとはあまり思っていなかったのです。
 ペトロは家に入ると、主が牢から連れ出してくださった次第を語って聞かせました。そして、このことをヤコブと兄弟たちに伝えるようにと言って、ほかの所へ行ったのです。このヤコブは、2節で言われたヘロデ王によって殺された使徒ヤコブではありません。このヤコブは「主の兄弟ヤコブ」と呼ばれていた、主イエスの弟のヤコブのことです。この主の兄弟ヤコブが、エルサレムの教会の使徒たち以外の中心的人物だったのです。
ここに教えられていることは、神様は私たちの祈りによって何かをなさる方ではないけれども、私たちが祈って救いを願い求めることを待っておられる、喜んでおられる、ということです。神様は私たちが祈って助けを、救いを願うことを喜ばれるし、それを待っておられるのです。自由な恵みによってその祈りに応えようとしておられるのです。私たちの言葉がどんなにつたなくても、自分の悩みや苦しみ、悲しみ、願い求めを神様に申し述べ、救いを願っていくこと、それはある意味ではまことにずうずうしいことですけれども、そのことを神様は喜び、待っておられるのです。そしてその祈りに応えて、私たちに本当に必要なものを与えて下さろうとしておられるのです。ペトロの解放の奇跡が、教会の祈りに挟まれて起ったと語られていることは、これらのことを私たちに教えていると思うのです。
 さらにここで見つめておかなければならないのは、この教会における祈りが、共に集まって祈る、共同の祈りである、ということです。5節の、「教会では彼のための熱心な祈りが神にささげられていた」、ということには、教会に連なる一人一人がそれぞれのいわゆる密室の祈りにおいて熱心に祈っていた、ということも含まれているでしょうが、しかし中心になっているのは、12節に描かれている、「大勢の人が集まって祈っていた」ということです。つまり教会における共同の祈りの集会、祈祷会です。勿論一人一人の個人の祈りは基本ですが、共に集まって共同の祈りを祈ることの大きな意義を私たちは知る必要があります。る教会です。
 ペトロは、この後どうしたのでしょうか。使徒言行録は、この後パウロの伝道について述べていくことになって、ペトロについてはこれで終わってしまいます。多分、ペトロはこの時からエルサレムにいることが出来なくなり、エルサレムの教会は主の兄弟ヤコブを中心としたものになっていったと考えられます。ペトロはこの後、各地を回って伝道したに違いありません。そして、紀元64年に、ローマにおいて皇帝ネロによって殉教するのです。それまでの20年間、ペトロは各地を巡って主の福音を伝え、ついにはローマにまで行ったのではないかと考えられます。
 最後に、どうしてヤコブは殺され、ペトロは助かったのか、このことについて少し考えたいと思います。ヤコブは、ペトロ、ヨハネと共に、十二使徒の中でも、主イエスが特別なことをする時にはいつもこの三人が主イエスのそばにいるという、特別な存在でした。それなのに、どうしてヤコブは殺され、ペトロは助けられたのか。教会はヤコブの時には祈らなかったのでしょうか。ヤコブの時は祈らなかったということは考えられません。
 マタイによる福音書20章23節で、主イエスは次のように語っています。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる」。主イエスがエルサレムに入る直前、ヤコブとヨハネの母が主イエスに、「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」と願い出ました。これは抜け駆けのようなもので、他の弟子たちも腹を立てるわけですが、主イエスが、これに対して23節で「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」と答えたのです。主イエスが「わたしの杯」と言われたのは、十字架の死を語っていることは明らかです。つまりヤコブの死は、この主イエスの予言の成就と見ることが出来ます。一方、ヤコブの兄弟であるヨハネは、使徒たちが皆殉教していく中で90歳まで生きたと伝えられています。この最初の殉教者ヤコブと最後まで長生きしたヨハネという兄弟。その二人に「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」と主イエスは告げられたのです。それは、生きるにしても死ぬにしてもキリストがあがめられる、そのことのために用いられる主の僕の姿を示していると思われます。実際、ペトロはこの時は助けられるのですが、20年後にはローマにおいて殉教することになったのです。ペトロが牢から救い出されて「今、初めて本当のことが分かった」と言う中には、自分が救い出されたのは単に私が助かるというようなことではなくて、神様は私を助けることによって、私を主の福音を伝える者としてまだ用い給う、その御心の中で助けられたということが分かったのではないかと思われます。わたしたちの祈りが神様によって聞かれ、出来事が起きる。しかし、その出来事は、私共が願った通りではないことも多いのです。私たちが神様に願い求める時、御心にかなうならば、神様は事を起こされるのです。しかし、神様には神様の御計画というものがある。そして、その御計画は、私共の思いを超えたものです。ヤコブの死は不幸で、ペトロが助かったのは幸いである。そういうことではありません。ペトロは神様の守りの中にあったが、ヤコブは神様に見放されたということではないのです。なぜなら、ヤコブには永遠の命が与えられていたからです。御国において栄光の冠を与えられたからです。このことを見失ってはなりません。大切なことは、私たちが生きるにしても死ぬにしても、神様の御名があがめられるということなのです。ヤコブの死はそのことを私共に示しているのです。私たちはこの「御名があがめられる」ために、他の人より少し先に救いに与ったのです。神様は私たちに天使を遣わして、具体的な困難の中から救い出してくださいます。祈りにも応えてくださいます。しかしそれは、私たちを通して神様があがめられるためであり、神様の御業が現れるためなのです。

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