富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「罪の赦しの福音」 使徒言行録13章13~26節

2013-07-09 00:23:55 | 礼拝説教

 

聖霊降臨節第八主日   2013年7月7日(日)

讃美歌(21) 288(恵みにかがやき)
交読詩編   16(神よ、守ってください)
聖 書  使徒言行録13章13~26節
説 教 「イエスによる罪の赦しの福音」辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 449(千歳の岩よ)
頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

 本日の聖書 使徒言行録13章13~26節
13:13パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。 13:14パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。 13:15律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。 13:16そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。 13:17この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。 13:18神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、 13:19カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。 13:20これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。 13:21後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、 13:22それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』 13:23神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。 13:24ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。 13:25その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』 13:26兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。

 本日の説教
 使徒言行録13章1節から3節にかけて、アンティオキアの教会は、礼拝しているときに与えられた聖霊に従い、宣教のためにバルナバとサウロを選び、断食と祈りののち、二人に按手をして出発させたことが記されています。
 バルナバは、4章36節で紹介されたように、「レビ族の人で、使徒たちからバルナバ(『慰めの子』という意味)で呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフ」で、「持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた」人です。11章24節では、バルナバは、「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」と紹介されています。
 最初の伝道地として選ばれた所は、バルナバの故郷である、地中海にあるキプロス島でした。二人は、ヨハネを助手として連れていきました。ヨハネについては、使徒言行録12章12節に出てきます。ペトロがエルサレムで捕らえられたあと、天使によって獄から脱出することができたとき、「ペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」とあります。このヨハネ・マルコを、バルナバとパウロがエルサレムからアンティオキアの教会に戻るときに連れてきました(12:25)。このヨハネはバルナバのいとこだと記されています(コロサイ4:10)。
 キプロスのパフォスと言う町で、彼ら三人は、ユダヤ人のバルイエスという魔術師で、エリマというギリシア名を持つ偽預言者と対決しました。9節に、「パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、言った」とあります。パウロの名が初めて紹介されます。サウロという名はユダヤ名であり、「サウロ王」にあやかった名です。パウロと言う名は、ローマ名で、「いと小さい者」という意味です。これからはローマの各都市に宣教するので、サウロのローマ名が用いられます。パウロは、「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」と言って、聖霊の働きにより、魔術師を退散させました。この出来事を見て、地方総督セルギウス・パウルスは、「主の教えに非常に驚き、信仰に入」りました。 
 13節からは、サウロ名に変わって、パウロ名が用いられます。「パウロとその一行は」は、キプロスのパフォスから船出して北へ向かい、パンフィリア州の首府ペルゲ(現在のトルコのベルゲ)に来ました。ぺルゲはケストロス川の河口から13キロ上流で、しかも川岸から東へ10キロも離れたところにあります。おそらくアタリア(14:25)から上陸してベルゲに来たと思われます。(聖書巻末付録地図7の「パウロの宣教旅行1参照」)13節には、このペルゲで、彼らが助手として連れていたヨハネが一行と別れてエルサレムに帰ってしまったとあります。その理由については何も記していません。
彼ら(二人)は、ペルゲから北に向かい、途中険しいタウルス山脈を越えて、160キロの道を進み、到着したところはピシディア州のアンティオキアという町でした。この町は、アウグストゥス帝の時代にローマの植民都市になり、ガラテヤ州に属し、退役した軍人たちの移住地であり、ユダヤ人の居留地でもありました。「アンティオキア」の名の由来は、セレウコス朝(紀元前312年 - 紀元前63年)、
シリア王セレウコス1世ニカノル(アレクサンドロス大王の後継者の一人)、が、父アンティオコスを記念して建てた16の都市のうちの1つです。海抜およそ千百メートルの高原にあった町で、今は廃墟しか残っていません。ピシディアのアンティオキアは、彼らを送り出したシリアのアンティオキアとは違う町です。
 パウロは、ユダヤ人の習慣にならい、安息日にユダヤ人
たちの会堂に入って席につきました。会堂における安息日
の礼拝では、律法と預言者の書が朗読されたと15節にあ
ります。礼拝において聖書が朗読された、ということです。その後会堂長たちがパウロらに、「何か会衆のために励ま
しのお言葉があれば、話してください」と依頼したとあり
ます。「そこでパウロは立ち上がり、手で人々を制して」、言いました。
 この説教は、パウロの説教として記録された最初のものです。聴衆は、ユダヤ人たちと、神を敬う異邦人たちです。説教は、三つの部分から成り立っています。第一部は16-25節、第二部は26-37節、第三部は38-41節です。本日は、第一部を中心に、御言葉を学びます。
 パウロは先ず、イスラエルの歴史は、神によって、直接導かれてきたということを語りました。<イスラエルの神>が先祖を選び出しました。これは、アブラハム、イサク、ヤコブというイスラエルの最初の先祖たちのことです。
次に、「民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました」。これはエジプトのヨセフのもとに、ヤコブ一族が移住し、民の数が増大したこと、その後奴隷状態になっていたイスラエルの民を、モーセを指導者としてエジプトから導き出し、脱出させてくださったこと、「神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び」、彼らの神に対する不従順、不信仰を忍耐されたことを言っています。次に、モーセの後継者ヨシュアを立ててカナンに侵入し、七つの民(ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人)を滅ぼして、その土地をイスラエルに相続させました。「これは、約四百五十年にわたることでした(エジプト在住四百年、荒れ野に四十年、カナン侵入・征服まで十年)。」その後、神はデボラ、ギデオン、サムソン等の裁く者(士師たち)を任命して、イスラエルを治めさせました。
預言者サムエルの時代になって、イスラエルの民が王政を求めたので、四十年間(実際は二十年間)、サウルを最初の王として与えました。その後、サウルを退け、ダビデを王としたことが語られていす。
 パウロは、イスラエル民族の歴史と、イエス・キリストとを結びつけて、次のように述べています。「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださった」と告げます。預言者ナタンによってダビデに告げた神の約束は、サムエル下7:12に記されています。「主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたは生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。」この約束はイエスにおいて成就します。「その王、救い主を大きくし、その油注がれた者に、ダビデとその子孫に、とこしえに慈しみを施される(サムエル下22:51)。」という約束が成就します。パウロはこのようにして、イスラエルの民への神様の導きの歴史が、ダビデへの約束を通して、主イエス・キリストにおいて成就し、実現したことを語っているのです。
 ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めのバプテスマを宣べ伝えました。イエスを救い主(キリスト)としてイスラエルの人々に告げました。ヨハネの言葉は、神の救いの業の頂点がイエスの到来であることを強調しています。
 第二部は、「兄弟たち」という新しい呼びかけで、ユダヤ人とその会堂に来ている神を畏れ敬う異邦人に、「この救いの言葉はわたしたちに送られました。(26節)」と語っています。救いの言葉、すなわち、救いの出来事の成就であるイエスの受難と復活は、今生きているわたしたち読者にも、送られているのです。
この後、27~31節では、エルサレムに住む人々や指導者たちは、イエスになんら死に当たる理由が見出せなかったのに、ピラトに強要して、イエスを殺したこと。しかし、神は、イエスを死人の中から、よみがえらせたこと。よみがえったイエスは、弟子たちに、幾日ものあいだ現れたので、彼らは、イエスの証人になっていることを語っています。
 32~37節では、パウロは、イエスのよみがえりこそ、先祖に与えられた約束の成就であると語ったのです。このことを立証するために、詩編2篇7節、イザヤ書55章3節、そして、「あなたは、あなたの聖なる者を、朽ち果てるままにしてはおかれない」(詩編16:10)という言葉を引用しています。
 最後に、第三部では、パウロは、聞く者たちへ、決断をうながしています。「だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。(38,39節)」「イエスによる罪のゆるしの福音」をあらためて説き、「信じる者は皆イエスによって義とされる」、すなわち、イエスによって神との関係が正しくされることを語り、それを否定すると、どうなるかを、旧約聖書ハバクク書1章5節の言葉を引用して、この説教を結んでいます。
 このようにして、異邦人に対する神の救いの御計画が明らかにされます。「イエスによる罪のゆるしの福音」は、万民のためのものであり、キリスト教はただユダヤ人一民族のための宗教ではなく、すべての民族、すべての国民のものであることを、パウロは明らかにしたのです。
 42-43節には、パウロの説教への人々の反応が記されています。これを聞いた多くのユダヤ人と異邦人の改宗者が、自分たちにも救いがもたらされるという福音に接して喜び、もう一度、次の安息日にこの話をしてくれるようにパウロとバルナバに依頼したというのです。「次の安息日になるとほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た(44節)」と、パウロの説教の大きな反響を伝えています。
 パウロは、「イエスによる罪の赦し」が必要だと語っています。聖書はこのようにいつも私たちの罪を問題にします。なぜなら、私たちが抱えている様々な問題の背後にはこの罪の問題が隠れているからです。そして実はこの罪の問題の背後には、私たち人間を支配する、罪の力、闇の力、悪魔の力が潜んでいます。それは人間の力では太刀打ちできない力です。それを解決することができるのは神の力、聖霊の力だけなのです。使徒言行録は、聖霊の力と恵みに依って福音が世界に伝えられていったことの記録です。神はイエス・キリストによる救いを実現することによってこの闇の力に勝利し、私たちに救いの恵みを与えてくださるのです。

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