富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「天地の創造者と争うヨブ」ヨブ記38章1~18節

2022-10-17 00:02:45 | キリスト教

  ↑ 「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。男らしく腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」ヨブ記38:1-3

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

降誕前9主日  2022年10月23日(日)   午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序                    

                司会 辺見 順子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   6(つくりぬしを賛美します)

交読詩編  148(ハレルヤ。天において主を讃美せよ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)   ヨブ記38章1~18節 (旧p.826)

説  教   「天地の創造者と争うヨブ」     辺見宗邦牧師

祈 祷                                                      

讃美歌(21) 157(いざ語れ、主の民よ)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オン・ラインで礼拝に参加できます。連絡ください。

          次週礼拝 10月30日(日)  午後5時~5時50分

          聖 書  創世記9章8~17節

          説教題  「保存の契約(ノア)」

          讃美歌(21) 351  425 27 交読詩編 1:1-6

 本日の聖書 ヨブ記38章1~18節

38:1主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。2これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。3男らしく腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。4わたしが大地を据えたときお前はどこにいたのか。知っていたというなら理解していることを言ってみよ。5誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。6基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか。 7そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い神の子らは皆、喜びの声をあげた。 8海は二つの扉を押し開いてほとばしり母の胎から溢れ出た。9わたしは密雲をその着物とし濃霧をその産着としてまとわせた。10しかし、わたしはそれに限界を定め二つの扉にかんぬきを付け 11「ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。 12お前は一生に一度でも朝に命令し曙に役割を指示したことがあるか 13大地の縁をつかんで神に逆らう者どもを地上から払い落とせと。14大地は粘土に型を押していくように姿を変えすべては装われて現れる。15しかし、悪者どもにはその光も拒まれ振り上げた腕は折られる。16お前は海の湧き出るところまで行き着き深淵の底を行き巡ったことがあるか。17死の門がお前に姿を見せ死の闇の門を見たことがあるか。18お前はまた、大地の広がりを隅々まで調べたことがあるか。そのすべてを知っているなら言ってみよ。

本日の説教

ヨブ記は、「なぜ正しい人に苦難がのぞむのか」という人間の疑問に対する物語です。ヨブ記の著者はバビロン捕囚期以後の時代、紀元前5世紀前半のユダヤ人と推定されています。著者はイスラエル以外の知恵や宗教伝承も含む、長い成立過程を経て出来上がっていた口伝をもとに編集し、ヨブ記を書いたとおもわれます。ノア、ダニエル、ヨブの三人は、正しい人物としてエゼキエル書14:14に記されているが、ヨブは実在の人物かどうか立証できません。

 ヨブはイスラエルの地以外の東方の「ウツ」に住んでいた異邦人と考えられています。ヨブは正しい人で、神を恐れ、悪を避けて生きていました。「ヨブ」という名前はヘブルで語では「敵対する」という意味で、「ヨブ」は神に「なぜ」と訴えているように思われる人物です。

ヨブはサタンの試みを受け(1:11、2:5)、次々と災難に襲われました。二度も天災に遭い、財産も、家畜も、使用人たちも、さらには七人の息子と三人の娘たちも、すべてを失ってしまいました。それでも、ヨブは神を呪いませんでした。ヨブは、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(1:21)と言って、神を非難することもなく、罪を犯しませんでした。

さらに、サタンの二回目の試みを受け(2:7)、ヨブは頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかかり、ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしって苦しみに耐えました。彼の妻は、夫のあわれな姿を見るにしのびなく、「どこまでも純真でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と告げました。ヨブは「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」(2:10)と妻をたしなめました。このようになっても、彼は神を呪いませんでした。ここまでが序文です。

ヨブは表面的には神への信仰を保持し、告白しています。しかし彼の内面では、神に対する疑いが生じ、苦悩していました。それが3章から42章6節までの主要部で、詩文で記されています。

ヨブと親しいエリファズ、ビルダト、ツォファルの三人の友は、ヨブにふりかかった災難の一部始終を聞くと、見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやって来ました。彼らは遠くからヨブを見ると見分けられないほどあわれな姿になっていたので、しばらく茫然とし、嘆きの声をあげました。彼らは七日七晩、ヨブと共に地面に座っていましたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできませんでした。(2:13)

7日間経過後に、ヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪います。「なぜ、わたしは母の胎にいるうちに、死んでしまわなかったのか。せめて、生れてすぐに息絶えなかったのか」(3:11)、と。ヨブが死を願う独り言を言い始めたことから、三人の友人たちは、次々にヨブを説得します。

最初にエリファズが、すべての人には罪があると言い(4:17)、神のこらしめに対して叫びを上げるヨブは誤っている(5:17)、とヨブの罪をほのめかします。だが、罪を犯した覚えのないヨブの挑戦的な態度が増していきます。ビルダトは「あなたの子らが神に対して過ちを犯したからこそ、彼らをその罪の手にゆだねられたんだ。」(8:4)だと言います。無遠慮なツォファルは「神があなたの罪の一部を見逃していてくださった」(11:6)とあからさまに言います。ヨブは友人たちを批判し、「わたしが話しかけたいのは全能者なのだ」(13:3)と言います。「罪と悪がどれほどわたしにあるのでしょうか。わたしの罪咎(つみとが)を示してください」(13:23)と神に訴えます。

 三人の友との二回目の議論は、15章から21章まで続きます。ヨブは、「天にはわたしを弁護してくださる方がある。わたしのために執り成す方、わたしの友、神を仰いでわたしの目は涙を流す。」(16: 19-20)と、仲保者キリストを預言するような言葉を言います。そして「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。」と彼を滅ぼす神ではなく、彼の正しさや潔白を証明し、彼を弁護してくれる神は生きておられ、最後には必ずこの地上に立ってくださることを信じ(19:25)、待ち望みます。

三人の友との三回目の議論が22章から28章まで続きます。友人たちはあくまでも正義の神を擁護しようとし、苦しみにはそれなりの原因があるはずだと、因果応報によってヨブを裁きます。友人たちとヨブの議論は決着のつかないまま終わり、ヨブは嘆きの独白を始めます。(29章1節~31  章40節)「ヨブは語り尽くしました。(31:40b)

もう一人の友人エリフが現れ、三人の友人とヨブに語り始めます。32章から37章まで続きます。エリフはヨブに反論できない三人に対して怒り、ヨブに対しても「なぜ、あなたは神と争おうとするのか。神はそのなさることをいちいち説明されない(33:13)と語ります。彼は苦難には教育的な意味があると諭します(36:9-11)。そして次第に、神の支配する世界には人間の識では理解できないことが多くあるのだ(37:24)と、先人の知恵によって説得しようとしました。エリフの主張までが、ヨブを苦しめました。潔白を訴えるヨブの主張を信じる者は一人もいませんでした。

主は、ヨブの「全能者がわたしに答えられますように」の願いに対して、「嵐の中からヨブに答え」(38:1)られます。「嵐の中から」は、神の顕現に伴う現象です。神は激しさをもって、全力を傾けてヨブの前に立たれたのです。「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。」(38:2)<経綸>とは、神の計画とその実現の御業をまとめて言う言葉です。これまで、「なぜですか」と神に問い続けたヨブは、逆に神から問われるものとなり、男らしく「腰に帯し」、自分を整えて神の前に立つことを求められました。神は「わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ」と命じました。

神が天地創造のとき、土台をすえた作業は神であることが語られます。誰が広がりを定めたか。誰が測り縄をはったか。<隅の親石>(38:6)は家を建築する時、敷地の四隅を掘り、壁が直角に交わる隅を支える石のことです。誰が隅の親石を置いたか。基の柱はどこに沈められたか。神は自分の造った世界を肯定しており、天使たちも喜びの声をあげました。神の創造の業がヨブの思いを越えた絶大なる知恵によるものであることをヨブに想起させました。

 母なる大地である奥底からあふれでた大水が、扉をもってせき止められて、海となったことが語られます。海の創造が嬰児の出産にたとえられています。神が水に限界を定め、かんぬきと扉とを設けたと言います(38:8-11)。太陽は一定の場所から出て、一定の道を通り、一定の所に沈みます。その最初の出発点である「朝」に命令し、曙に役割を指示したことが、生まれてから一度でも、お前はあるのかと神はヨブに問います。(38:12)混沌とした世界に朝の光が段々と強くさしてきて、野も山もはっきりした形をとり、しかも衣のようにきれいな色に染まります。裁判は朝、行われ、悪人は光を奪われ、力を誇り高姿勢な腕は折られると神は語ります(38:13-15)。ヨブは「海の湧き出るところ」や海の「深淵の底」まで行ったことがあるのかと問われます。「死の門がお前に姿を見せ、死の闇の門を見たことがあるか。」<死の門>、<闇の門>は海の底にあると考えられています。大地の広がりを隅々まで調べたことがあるか。そのすべてを知っているなら言ってみよ、とヨブは問われました。(38:16-18)。

この後も、神は、自らを世界の創造者として示します。続いて、神は無と混沌の世界に秩序を与え、自然や動物の存在を許し、ヨブもまた、神の全能と愛の対象であることを示しました。

40章1-2節で、主は「全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。神を責めたてる者よ、答えるがよい。」と問いかけます。人は神からの問いかけによって初めて自らを知り、自らの位置と意味を知るに至ります。ヨブは主に「わたしは軽々しくものを申しました」と詫び、「もう主張しません」と誓います(40:3-5)。

主は、再び嵐の中からヨブに答えて仰せになります(40:6)。「お前はわたしが定めたことを否定し、自分を無罪にするために、わたしを有罪とさえするのか」と問いかけます。ヨブは「あなたは全能であり御旨の成就を妨げることはできないと悟りました、あなたのことを、耳にはしておりました。しかし今、この目であなたを仰ぎます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。」(42:2-6)と主に答えました。

ヨブは神の語られるのを聞いて、神が生ける神であるゆえに、理由なしに信じたのです。これが真の礼拝です。ここに、「ヨブは理由なしに神を恐れましょうか」(1章9節)というサタンの言葉に対する答えがあります。ヨブは神と出会うことによって、自分の無知を悟り、苦難を神の給う苦難として受けとめることができました。

ヨブ記は、人間の罪とその解決に対する重大な問題が答えられていません。人間には原罪があります。アダムの罪により全ての人に罪が及び、被造物は虚無に服し、死ぬ者とされました(ロ-マ8:19)。それゆえ、不条理に思える世界がありますが、主イエスが世に来られたことによって、神の支配する神の国が実現しつつあります。

ヨブは自分の義を主張し、神と対決しました。しかし、「人を義としてくださるのは神なのです(ローマ8:33)」世に来られたキリストは十字架の贖いの死と復活によって、人間のすべての罪を赦し、罪と死から解放してくださいました。「不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます(ローマ4:4)。人間にいかなる苦難が起ころうとも、神とキリストの愛が、苦難に勝利させてくださるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「天国に市民権を持つ者」 ヨ... | トップ | 「祝福の永遠の契約」創世記... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事