富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「イエスの洗礼」ルカによる福音書3章15~22節

2023-01-05 00:54:34 | キリスト教

  ↑ サンクト・ペテルブルクの国立エルミタージュ美術館にある、イタリアの画家フランチェスコ・アルバーニの1640年頃の「キリストの洗礼(Baptism of Christ)」です。

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

降誕節第3主日  2023年1月8日(日)  午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序                    

                 司会 辺見 順子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 288(恵みにかがやき)

交読詩編    104(イスラエルはエジプトを)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳) ルカによる福音書3章15~22節(新p.106)

説  教      「イエスの洗礼」   辺見宗邦牧師

祈 祷                                                    

讃美歌(21) 377(神はわが砦)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019        (辺見牧師)に、申し込み下さい。

        次週礼拝 1月15日(日)  午後5時~5時50分

        聖 書 ルカによる福音書5章1~11節

        説教題  「最初の弟子たち」 

        讃美歌(21) 402 516 27 交読詩編 101

  本日の聖書 

3:15民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。16そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 17そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 18ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。19ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、 20ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。 21民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、22聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

本日の説教

 福音書記者ルカは、イエスの先駆者ヨハネの活動を記すにあたって、当時の歴史的状況の中に、ヨハネ登場の年代を記します。

「皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとがトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降(くだ)った。」(ルカ3・1-2)

 次の【】内の記事は、説教では省略する。

【 ローマ皇帝ティベリウスは、初代皇帝アウグストゥス(治世:B.C.27~A.D.14)の後を継いだ2代目の皇帝で、その治世は、A.D.14~37年でした。その治世の<第十五年目>は、紀元27~28年になります。ポンティオ・ピラトは、サマリアを含めて<ユダヤの総督>だったのは、A.D.26~36年でした。

 ヘロデ大王が紀元前4年に死んだあと、皇帝アウグストゥスはヘロデ大王の王国を四つに分割し、三人の息子たちとヘロデの妹による4分割統治にしました。

① アルケラオ(ヘロデ大王と妻マルタケとの子)は王の称号は与えられず、民族指導者として、ユダヤ、イドマヤとサマリヤを統治しました。アルケラオは他の兄弟たちより悪評が高かったので、紀元6年に、在位10年にしてガリア[ローマの属州:フランス南西部]に追放され、ユダヤはローマ皇帝の直轄領となり、総督がローマから派遣されていました。

② ヘロデ・アンティパス(イエス誕生当時のヘロデ大王とサマリヤ人の妻マルタケとの子)は,B.C.4~A.D.39年までガリラヤとペレヤ(ヨルダンの東岸地方)の領主でした。      

③ フィリポはアンティパスの義兄弟(ヘロデ大王と妻マリアンメ二世との子)で、レバノン地方の<イトラヤ>と、ダマスコ南方の<トラコン(トラコニティス)>の領主となり」、紀元34年に死去しています。

④ヘロデ大王の妹だったサロメ1世は、地中海に面したヤブネなどを含む地域と、エリコの北のヨルダン川西岸のごく狭い土地(現ヨルダン領)を相続しました。サロメ1世の娘がアリストブロスと結婚したベレニケ(ヘロデ大王の姪)です。その息子が、使徒言行録12章に出てくるヘロデ・アグリッパ1世です。ヘロデ・アグリッパ1世は王の称号を皇帝ティベリウスから与えられました。ダマスコ北西のシリア州<アビレネ>は、リサニア(ヘロデの家系とは関係ない人)が継承しました。

 アンナス紀元6年から紀元15年まで大祭司であったが、民はアンナスを死ぬまで真の高位祭司としました。彼の後を継いだ義理の息子カイアファは紀元18年から36年まで大祭司でした。アンナスの影響が大きかったので、二人の名が挙げられています。ヨハネによる福音書でも、イエスはその裁判の場で、アンナスとカイアファの前に現れています。(ヨハネ18 :12~28)】

アンナスとカイアファが大祭司だったとき、神の言葉が荒れ野にいたザカリア(ルカ1:59)の子ヨハネにのぞみました。

そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しをさせるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。

「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。」(イザヤ書40:3~5)      

 ヨハネの宣教は荒れ野の中で始まり、イザヤ書の預言は成就されます。ヨハネは、イエスの先駆者として、異邦人を含めた全人類のキリストによる救いを預言します。洗礼を授けてもらおうと出て来た群衆に<蝮(まむし)の子等よ>とヨハネは呼びかけます。神の選民の資格を失った神の敵対者だという弾劾(だんがい)のことばを、イスラエル全体に向けて語ります。そして<悔い改めにふさわしい実を結べ>とせまり、ユダヤ民族の血縁を誇るなと告げます。群衆や徴税人や兵士までも、<わたしたちはどうすればよいのですか>と尋ねました。ヨハネは、生活につながる具体的な改心の実を結べと語り、改心の具体化は、自分の周囲の人との関係を愛と公正によって律することだと、社会正義を要求しました。

民衆は皆、ヨハネをメシアではないかと思いますが、ヨハネは民衆に向かって、「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕(み)を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」と言いました。

<聖霊と火>による洗礼は、「その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ」(ヨエル書3:1)の成就としての神の霊の降臨と、主の御名を呼ぶ者が救われる洗礼です。脱穀で麦をふるい分ける表現は神の裁きを表し、殻を消えない火で焼くという表現は、神の決定的な刑罰を表しています。

ヨハネの<水の洗礼>は、霊によってもたらされる洗礼への準備段階としての罪からの改心の洗礼です。<聖霊による洗礼>とは救いをもたらすイエスによる洗礼です。主イエスによる<聖霊と火による洗礼>は、儀式としてあったわけではなく、ペンテコステの日に起こった聖霊降臨です。

ヨハネは他にも様々な勧めをして、民衆に福音を告げ知らせました。ところで、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、自分の兄弟の妻であったヘロディアを奪って妻とした不法結婚(十戒の10番目の戒め、レビ記18:16、20:21)や、また自分の行ったあらゆる悪事のことで、ヨハネに責められたので、ヨハネを死海近くの要塞マケルスの牢に投獄しました。こうしてヘロデは、それまでの悪事に、ヨハネを投獄するもう一つの悪事を加えました。

民衆が皆洗礼を受け、イエスも民衆に一人として洗礼を受けませす。ルカ福音書では、このとき、ヨハネは、メシア・イエスと気づかずに洗礼を授けたように記しています。後に投獄されたヨハネが、イエスのもとに弟子を送り、「来るべき方は、あなたでしょうか」と尋ねているからです(ルカ7:18-20)。

イエスはヨハネから洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来ました。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえました。主イエスは御自分の目で、聖霊が自分に降るのを見、聖霊を受けました。イエスは御自分の耳で神が自分に語られる声をお聴きになりました。イエスはこの時、神の子として神から全権を委任されている自覚が与えられ、励まし力づける聖霊が注がれました。その権威によって「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)と主イエスはガリラヤで伝道を始められたのです。

神の子であられる主イエスはただ一人、悔い改める必要のない、罪のない方であられます。その主イエスがどうして洗礼を受けたのでしょうか。マタイによる福音書では、ヨハネが、「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきなのに」と言って、主イエスに洗礼を受けることを思いとどまらせようとしています。イエスが受けた洗礼は、この世に対して救い主が公に現れたことを宣言したものであり、イエスは民衆の罪を負って十字架に架かったように、ここでも民衆の罪を一身に負って、ヨハネの洗礼を受けられたものと思われます。

旧約時代の最後の預言者と言われるマラキ以後、400年以上も預言者は現れませんでしたが、ここに「預言者以上の(預言)者(ルカ7:26)」とイエスが評価した洗礼のヨハネが現れ、ヨハネが「来るべき方」といったメシア・イエスが現れたのです。イザヤが待ち望んだ新たな時代が始まったのです。

 五旬祭(ペンテコステ)の日に、イエスの弟子達に聖霊が降りました。炎のような舌が分かれ現われ、一人一人の上にとどまりました。一同は聖霊に満たされ、神の偉大な業を語りました。こうして初代教会が誕生しました。

復活されたイエスは、弟子たちに「あなたたちは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」(マタイ28:19)と命じています。

私たちは洗礼を受けて教会の一員とされます。その洗礼は、水を用いてなされますが、イエス・キリストに結ばれるために(ローマ6:3)、イエス様の死にあずかるための洗礼を受け、キリストが死者の中から復活されたように、私たちもイエス様の復活に預かり、新しい命・永遠の命に生きるためです。私たちは、洗礼によって、キリストの体である教会の一員とされ、主イエス・キリストによる救いの恵みをいただき、教会の宣教活動に参加し、神の国の実現を待ち望むのです。教会員の一人一人は、神様の愛する独り子であるイエス様と一つに結び合わされます。そのことによって私たちは神様の子等とされるのです。神の子等とされた私たちは、イエス様と同じように、神様の御心に適うことを何よりも第一とする者にされるのです。それは神を愛し、人を愛し、神に仕え、人に仕える道です。そして、まことの神の御子であるイエス様に似た者に変えられ続けていき、御国の世継ぎとされるのです。日々「主イエスを仰ぎ望んで喜びを得る」こと、キリストと共にいることが唯一の願いとなるのです。

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