↑ コリントの信徒への手紙を書いた聖パウロ(右手に持つ書物は、パウロの書いた手紙が新約聖書の一部となっていること、左手にもつ長剣は、パウロが剣によって殉教したことを表すと同時に、「霊の剣(エフェソ6:19)」と言われる御言葉の不屈の宣教者であったことを表しています。)
981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
聖霊降臨節第15主日 2019年9月15日 午後5時~5時50分
年間標語 「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆこう。」(エフェソ4・16)
聖 句 「御父が、その霊により、力をもって、あなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(エフェソ3・16-17)
礼 拝 順 序
司会 斎藤 美保姉
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 206(七日の旅路)
交読詩編 33(主に従う人よ、主によって喜び歌え)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)コリントの信徒への手紙二、11章7~15節(p.337)
説 教 「パウロの伝道者としての誇り」辺見宗邦牧師
祈 祷
聖餐式 72(まごころもて)
讃美歌(21) 451(くすしき恵み)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 9月22(日) 午後5時~5時50分
聖 書 ガラテヤの信徒への手紙、6章14~18節
説教題 「十字架を背負う」
讃美歌(21) 219 511 交読詩編 142
本日の聖書 コリントの信徒への手紙二、11章7~15節
11:7それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。 8わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。 9あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。 10わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。 11なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。 12わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。 13こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。 14だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。 15だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。
本日の説教
コリントの教会は、パウロが第二伝道旅行中(49~52年)、紀元49年から51年にかけて、一年六か月にわたり滞在して伝道してできた教会でした。当時のギリシアは、ローマ帝国(B.C.27~A.D.1453)の支配下にあり、北部はマケドニヤ州、南部はアカイア州の二つ行政区からなり、アカイア州の総督府は、アテネではなくコリントに置かれていました。
コリントは、アドリア海とエーゲ海の二つの海に面した二つの港を持つ交通の要衝として重要な商業地であり、多種多様な人々が行き交う自由の空気の支配する文化的中心地でした。そこにはかなりのユダヤ人が住んでいました。パウロはコリントでユダヤ人夫婦、アキラとプリスカに出会ったことは、彼らが皮テントを作る職業であり、パウロと同じ職業なので、パウロの伝道活動の大きな支えとなりました(使徒言行録18章)。コリントの教会はまれにみる成長を遂げました。
しかし、パウロが去った後、さまざまな問題が教会を襲いました。これらの問題について、パウロのもとに質問の手紙が届きました。コリントの手紙第一は、パウロが種々の具体的問題の質問に答えた手紙で、第三伝道旅行中(53~56年)、エフェソに約二年滞在中54年春頃に書かれた推定されています。
コリントの手紙第二は、全て一度に書かれたのではないと思われます。第一の手紙を書いてまもなくパウロはコリント人とのあいだの緊張をほぐすためにみずからコリントに赴いたが成功せず、事態はかえって険悪となり、悲しみのうちにエフェソに引き返します(2・2以下、12・14、20・21、13・1-2)。その後、パウロは問題解決をテトスに委ね、情熱的な「涙の書簡」を持たせて彼をコリントに遣わし(2・9、7・8以下)、トロアスでその帰りを待つが、それが遅れたために不安になり、その地で伝道の大きな成果が期待されていたにもかかわらず、テトスを迎えるためにマケドニヤに足をのばしました(2・12-13)。ここでテトスはパウロに会い、コリントの信徒が後悔してパウロとの和解を熱望しているという吉報をもたらします(7・6-7)。パウロは喜びに溢れ、彼が行く前に募金のためにテトスを再びコリントに派遣します。このときテトスに託されたのが第二の手紙です(8・16以下、12・20、13・2)「説教者のための聖書講解No.15、p.15参照」
第二の手紙は、パウロの死後、コリントでたれかが、パウロの手紙を保存するために、いくつかの手紙を一緒に組み合わせたものと思われます。全体の内容は以下のとおりです。
1章~7章 - パウロの内面的困難、コリントの信徒たちへの思いを述べます。1章15節には、「わたしたちは…神に献げられた良い香り(ユーオディア)です」と述べます。
8章~9章 - 慈善活動をすすめ、特にエルサレムの共同体支援を願っています。
10章~13章 - パウロに対する批判への反論と、コリントの信徒への配慮を告げ、結びのあいさつを述べます。11章にはパウロの人生における困難の数々を披露し、12章では「第三の天まであげられた」という神秘体験について、また自分に与えられた「とげ」について述べています。この書簡では他のどれよりもパウロが自分自身について多く語っています。
コリントの教会には、自己推薦する者たちや、仲間どうしで批評し合い、比較し合う者がいました(10・12)。福音そのものに目を向けることせず、人間の方にのみ気を取られ、しかも、人間をただ表面的に見て判断し、ある人間を尊び、ある人間を軽んじたりしたのです。パウロは、外見は見栄えのしない、<実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない(10・10)>と人々から言われたようです。パウロの敵対者たちは、パウロの弱さ、欠点をとらえて攻撃し、パウロの使徒職を否定しようとしました。パウロは、<あなたがたはうわべのことだけ見ています>、<比較し合うことは愚かなことです>と戒めています。そして、<わたしたちの戦いの武器は肉のもではなく、神に由来する力>です、と語っています。
11章1節から15節にかけて、パウロは偽使徒たちと自分とを比較して、自分の使徒職の本質を明らかにします。偽使徒たちは、コリントの教会で、パウロたちの宣べ伝えたのとは異なったキリストと福音を宣べ伝え、パウロが与えようとしたのとは異なった霊を与えようとしていました。このにせの使徒たちの教えを識別できずに真(ま)に受けていた信徒たちを、パウロは皮肉な調子でとがめています。「あなたがたは、だれかがやって来て私たちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢している」(11・4)と言っています。
福音の正統性を危うくすることに対しては、パウロは一歩も譲りません。5節の<大使徒>という語で、<キリストの使徒>を自称した偽使徒たちと対峙します。パウロは彼らに比べて、特に働きの点で決して遜色はないと言います。そして、活動や労苦の点だけではなく、知識の面でも彼らにひけはとらないと言っています。その「知識」とは、人間的な知識、学識、雄弁、話術を指すのではなく、神の霊から教えられる知識や言葉を指しています。
11章7節からは、パウロの使徒職が、偽使徒たちのそれと異なるもう一つの点が取り上げます。それは、無報酬でパウロが福音を宣べ伝えるいることについて、反対者からの批判があったからです。
パウロが最初にコリントを訪れ、一年半滞在して福音を宣べ伝えたとき、パウロはアキラ・プリスカ夫妻の家に住み込んで、一緒にテント造りの仕事をして収入を得ながら(使徒18・1~4)、安息日ごとに会堂で福音を伝えました。コリントの人々には金銭上の負担をかけませんでした。どのように生活が苦しくてもコリントの人たちには負担をかけず、「神の福音を無報酬で告げ知らせた」のです。
しかし、マケドニア州からシラスとテモテがやって来ると、フィリピの教会からの自発的な支援金は受け取り、パウロは御言葉を語ることに専念しました(使徒言行録18・5)。コリントの教会からは、宣教の報酬を受けない、パウロのこの姿勢が、コリント教会の信徒たちに誤解を与えました。パウロの批判者たちは、パウロは使徒としての資格がないから、報酬を受け取ることができないのだとか、信徒たちへの愛と信頼とが欠如しているから(11節)報酬を受け取らないのだとか、「他の諸教会からかすめ取っている」のだとか言って非難したのです。
<あなたがたを高めるため、自分を低くし神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。>とパウロは語りかけています。この問題については、コリントの手紙一の9章の3節から18節にかけて詳しく論じています。パウロは、<…主(イエス)は、福音を宣べ伝える人たちは福音によって生活の資を得るようにと、指示された(マタイ10・10)>と言って、福音を伝える者がそれによって生計を立てる権利を当然持っていることを認めています。しかしパウロ自身は決してこの権利を用いようとはしませんでした。<キリストの福音を少しでも妨げてはならないようにと、すべてを耐え忍ん>だのです。パウロの宣教は報酬が目当てでないことを示すものでした。また信徒に負担をかけたくなかったのです。
11・10の、<わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません>というパウロの決意は、コリントの手紙一の9章の<それでは、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです>(18節)という言葉に力強く表現されています。そして結局、この態度を貫き通すことが、「キリストの使徒を装い、義に仕える者を装う、偽使徒たち」から、自分の使徒職の正真性と正統性を擁護することになると判断したのです。パウロは報酬を受けとらないという点で、偽使徒たちとの違いを明瞭にし、彼らの誇りがいかに偽りであるかを暴露しようとしたのです。
偽使徒たちは明らかに収入目当ての仕事をしていたからです。彼らの教えは、イエス・キリストによる救いとは関係のない、単なる人間の思想でしかなかったのです。偽りの使徒たちの教えが結んだ実は、知識からくる高慢であり、高慢から来る対立と分派であり、そして高慢から神をも恐れない、また、他人のことも配慮しない、勝手なふるまいで教会を乱したのです。
しかし、不思議なことに、コリント教会の人々は、こういう偽使徒・偽教師たちを尊敬し、彼らの語る教えに耳を傾け、充分な報酬を払っていたのです。そして、逆に、自分で生活の糧をかせぎながら、報酬を要求しないで福音を語ったパウロのことを一段レベルの低い教師として軽蔑するようになったのです。それは当時の社会的風潮から、教師が報酬を要求しないのは自分の教えに自信がないからだという考え方をパウロのことに当てはめて、パウロを一段低く評価し、従ってまた、教えの内容も、パウロのは少し程度が低いが、偽教師たちの教えには哲学的な深みがあるとコリント教会の人々は考えたのです。
パウロの決意は、偽教師たちが大手を振るってアカイア州(コリント地方)で影響力を行使している時、当時の人々からは誤解され、評価されなくとも、自分はこれまで通り伝道者として福音に生きる姿勢を貫くことでした。
パウロは10節で、「わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません」と言っています。自分を低し、自分を貧しくしてキリストに仕えるということが福音伝道者としての自分の誇りであり、自分に内にあるキリストの真実だと言うのです。キリストはパウロの中に生き(ガラ2:20)、また語り給う(13:3)。従ってキリストの真実はパウロの中に働いている、というのです。パウロの誇りは自分の力に基ずく誇りではなく、弱さの中でこそ味わうことのできるキリストの恵みを知る誇りなのです。
彼ら偽使徒たちは現実にはキリストの僕ではなく、サタンの僕でした。サタンは善良な人にもなりすまします。サタンは欺くために光の天使を装います。サタンに仕える者たちが義に仕える者を装うことなど、良くあることです。コリントの教会の人々が、サタンが<光の天使>を偽装しているのを見破ることが出来ず、偽りの使徒たちの教えに魂を譲り渡していました。この世の知恵や力によって飾りたいというこの世の欲望にとらわれたからです。サタンとはそもそも神に敵対するもののことです。神から人間の心を離れさせようとするあらゆるものに対する戦いが、わたしたちの霊的な戦いです。サタンに打ち勝つためには、神の力、聖霊の力にたよる他はありません。
主は「(わたしの)力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリント二、12・9)と言われました。自分を低くくし、弱いときに神の力が働くのです。「誇る者は主を誇れ」(10・17)とパウロは告げます。すべての人に救いをもたらす主を誇り、わたしたちは弱い者になりきって、神の恵みと力をいただくとき、強い者とされて悪との戦いに勝利することが出来るのです。主を誇り、主に依り頼み、その偉大な力によって強くされましょう(エフェソ6・10)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます