富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「イサクの誕生の神の予告」創世記18章1~15節 

2022-11-02 23:32:44 | キリスト教

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

降誕前7主日  2022年11月6日(日)  午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序                    

                 司会 斎藤 美保姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 214(わが魂のひかり)

交読詩編  105、1~11(主に感謝をささげて御名を呼べ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)  創世記18章1~15節(旧p.23)

説  教    「イサクの誕生の神の予告」辺見宗邦牧師

祈 祷                                                      

讃美歌(21) 458(信仰こそ旅路を)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019に、       申し込み下さい。

           次週礼拝 11月13日(日)  午後5時~5時50分

           聖 書  出エジプト記3章1~15節

           説教題  「救いの約束」 

           讃美歌(21) 160 157 27 交読詩編 77

本日の聖書 創世記18章1~15節

18:1主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。 2目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、3言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。4水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。5何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」その人たちは言った。「では、お言葉どおりにしましょう。」6アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」7アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。8アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。9彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、10彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。11アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。12サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。13主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。14主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」15サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」

本日の説教

創世記1章から11章にかけての神話の部分が終わり、12章からアブラハムから始まる族長伝説に入ります。この族長時代は、歴史的事実の裏付けはありますが、全体としては、歴史というよりも、歴史的伝説であり、史的説話です。アブラハムは神によって改名されるまでは、アブラムという名でした。アブラハムの生涯は25章まで続きます。

アブラハムはバビロニア南部、スメル地方の住民でした。父テラに率いられてカルデヤの古代都市ウルを去り、ユウフラテス川に沿って北西に進み、パダンアラムのハランという所に移住しました。<ハラン>は、現在のトルコの東の方の町ウルファにあります。シリア国境に近い地です。

  

   父テラの死後、族長となったアブラハムは、「わたしが示す地に行きなさい」、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるようにする」という神の声に従い、妻サラと甥ロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共に、今までより頼んでいたものを捨てて、ハランを去り、カナン地方(現在のパレスチナ)に、旅立ちました。アブラハムが75歳の時です(12:1~5)。

現在パレスチナと呼ばれている地域(西は地中海、東はヨルダン川、南は死海、に囲まれた地域)は、当時カナン人が住んでいたので、「カナン」と呼ばれていました。その後、カナンの地中海沿岸にペリシテ人が西方から移住し、定住したことから、「ペリシテ人の地」を意味する「パレスチナ」と呼ばれるようになりました。

彼の行こうとしている地は、漠然とした希望の地で、目的地さえ示されていません。紀元前1950年頃のことです。アブラハムがカナンを目指したのは、父テラが、ウルを去るとき、カナンを目指していたからです。アブラハムが住み慣れた土地を離れ、親族と分かれ、父の家を捨て、大きな犠牲を払って旅立ったのは、神の言葉に信頼しての行動でした。しかし、新しい地での生活は必ずしも容易ではありませんでした。

 

【アブラハムはカナン地方へ入り、①シケムの聖所から②ベテルに移り、東にアイを望む所に天幕を張りました。更に旅を続け、③ネゲブ地方へ移りました。その地方に飢饉があったために④エジプトへ移住しました。そして、再び⑤ネゲブ地方へ戻り、さらに⑥ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイの間の、以前に天幕を張った所(12:8)まで来て天幕をはりました。甥のロトはアブラハムと別れて、ソドムに天幕を移しました。(説教では省略)

アブラハムはヘブロンにあるマムレの樫の木の所に住み、そこに主のために祭壇を築きました(13:18)。                         その後、主の言葉が幻の中でアブラハムに臨みました。主は子供のないアブラハムを祝福するため、彼を天幕の外に連れ出し、夜空に満天に輝く無数の星を見せ、数えて見よと語りかけられ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われました。彼は小さな自己の存在を痛感し、主のことばを信じました。主は彼の信仰を彼の義(神との正しい関係)と認められました(15:6)。

アブラハムが九十九歳になったとき、主はアブラハムに現われて、「わたしは全能の神である」と言われ、契約を結ぶと言われました。アブラム(尊敬すべき父)ではなく、アブラハム(多くの者の父)と名乗るように命じます。「多くの国民の父」とするからです(17:1-5)。そしてこの神との契約のしるしとして男子は割礼を受けるように命じます。アブラハムの妻サラは不妊の女で子供ができませんでした。サラは八十九歳でした。神はアブラハムに、妻の名をサライ(わたしの王女)ではなく、サラ(王女)と呼ぶように命じました。彼女に男の子を与え、「諸国民の母」とすると約束したのです。アブラハムはひれ伏しました。しかし、笑って、ひそかに、「百歳の男と、九十歳のサラに子供が産めるだろうか」と言いました(17:15-17)。神は「あなたの妻サラがあなたの間に男の子を産む。その名をイサクと名付けなさい」と言われました。「わたしの契約は、来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる」と約束しました。アブラハムは、すぐその日に、自分の家にいるすべての男子を集め、割礼を施しました。

主はマムレの樫の木の所でアブラハムに(人となって)現れました。<マムレ>とは、ヘブロンの北5㌔にある村落です。アモリ人マムレの支配地だったと想像されます。マムレはエルサレムから南南西へ25キロの地点です。

   

   ヘブロンのマムレの樫の木

<マムレの樫の木>とは、ヒイラギのような葉のセイチ樫です。アブラハムはこの木の所に来て、主のために祭壇を築き、その傍らに住んでいました(13:18、14:13)。

<暑い真昼>に、アブラハムは<天幕の入口>に座って休息していました。目を上げて見ると三人の人が彼に向かって立っていました。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言いました。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水で足を洗い、木陰で休んでください。」何か食べるものを用意します。「疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」と言いました。その人たちは、「では、お言葉どおりにしましょう」と言いました。

アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て、サラに小麦粉<三セア(一セヤが約13リトルなので、約39リットル>ほどをこねて、パン菓子をこしらえるように言いました。アブラハムは牛の群れのところに走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させました。アブラハムは、凝乳(ヨーグルト)、乳の飲み物、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べました。そして、彼らが食事している間、そばに立って給仕し、何のむくいも求めない、献身的な接待をしました。アブラハムはそうすることで、気づかずに主と天使たちをもてなしました。アブラハムの信仰はその行いと共に働きました(ヘブライ2:22)。神に喜ばれる奉仕の模範となっています。

彼らはアブラハムにあなたの妻サラはどこにいますか、と尋ねました。来訪者がサラの名を知っていることにアブラハムは驚いた事でしょう。アブラハムは、はい、天幕の中におります、と答えました。すると彼らの一人が、「わたしは<来年の今ごろ>(直訳は、命〔胎児の命〕の時に従って=今から九か月後)、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」と言いました。このお言葉は、以前に神がアブラハムに約束したことです。実際にはサラに向けられています。サラはすぐ後ろの天幕の入口で聞いていました。

アブラハムとサラはハランを出てから、二十四年も経っていました。アブラハムは九十九歳(17:24)、サラは八十九歳の高齢になり、子が生まれるはずはないと思い、サラはひそかに(心の中で)笑いました。主なる神はアブラハムに「なぜサラは笑ったのか。年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことはない。<来年の今頃>(直訳は、約束の時に)、わたしはここに戻って来る。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」と言われました。ここで三人のうちの一人は主なる神ヤㇵウェであり、他の二人は主の御使い(天使)であることが分かりました。サラは主なる神を恐れ、思わず打ち消して言います。「わたしは笑いませんでした。」しかし主は、「いや、あなたは確かに笑った。」と言われました。神はサラが心の中で言ったことを見抜かれていたのです。

神の御業を人間の常識や自然法則で把握しようとする傾向が人間にはあります。神がアブラハムもサラと同じように笑ったことが、17章17節に記されています。サラは、全能の神を信じない不信仰のゆえに笑ったことを恥じ、「主に不可能なことはない」ことを信じました。「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです(へブル11:11)。

神と御使いたちの三人がアブラハムの前に現われた目的は、サラが来年の今頃、男の子を産むことを告げ、アブラハム夫婦の、特にサラの信仰を強め、祝福することにありました。もう一つの目的は、ソドムとゴムラを視察し、滅ぼすためでした。姿を隠してアブラハムを訪れ、彼の前に立たれた方はまさにイエス・キリストとして人の前に現われた方を示しています。それは人が期待するような光輝く栄光の主の姿としてではなく、人間の姿で現れました。「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで」神に従順でした(フィリピ2:8)。キリストは、御自身をいけにえとして献げて、

人間の罪を取り除くために、現れてくださいました。神の民としてのイスラエルの選びは、この民を通してイエス・キリストに至る世界の民を救うためでした。

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