富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「天国に市民権を持つ者」 ヨハネの黙示録7章2~4節、9~12節

2022-10-11 23:13:46 | キリスト教

    黙示録7章:白い衣の大群衆

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会     週  報

聖霊降臨節第20主日 2022年10月16日(日)   午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序                    

                司会 斎藤 美保姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 475(あめなるよろこび)

交読詩編  146(ハレルヤ。わたしの魂よ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳) ヨハネの黙示録7章2~4節、9~12節(新p460)

説  教    「天国に市民権を持つ者」 辺見宗邦牧師

祈 祷                                                      

聖餐式    81(主の食卓を囲み)

讃美歌(21) 579(主を仰ぎ見れば)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オン・ラインで礼拝に参加できます。連絡ください。

                                     次週礼拝 10月23日(日)  午後5時~5時50分

                                     聖 書  ヨブ記38章1~18節

                                    説教題  「創造」

                                   讃美歌(21) 6 59 27 交読詩編 148

 本日の聖書 ヨハネの黙示録7章2~4節、9~12節

7:2わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、3こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」 4わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。・・・・・・              9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、10大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」11また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」

 本日の説教

 人類救済の歴史を記すために、旧約聖書は創世記の天地創造から始めます。それに呼応して、新約聖書が記す救いの歴史は、ヨハネの黙示録の世の終末と新天新地の出現をもって終わります。黙示録は聖霊に満たされた預言者ヨハネの幻視による壮大な終末の描写です。世の終わりに来臨する勝利の君、さばき主・キリストはサタンと最後の決戦をして、神の国を来たらせます。黙示録にえがかれているのは、世の終わりに起こる神の審判と、神の完全な支配です。黙示録は神の秘密を解き明かす文書です。黙示文学に特有なシンボルや奇異な視覚的表現が用いてられているのは、キリスト教徒を迫害する圧制の中では、ローマ帝国に対する神の裁きをあからさまに言えないからなのです。この黙示録では、キリストを小羊という言葉で表現しています。また、破滅するローマの都をバビロンという言葉で表現しています。

第一世紀の終わり頃、ローマ帝国の属州であったアジア州(トルコ)の諸教会は、紀元95年頃、ドミティアヌステ帝の時に行われたキリスト教の迫害によって、殉教者が出始めました。教会内部でも偽りの使徒により内部分裂の危機にさらされていました。福音宣教のためにパトモスの島に流刑の身となっていた預言者ヨハネは、キリストの再臨と勝利、この世の終末と神の国の完成を告げて、殉教の危機にさらされている諸教会と信徒を激励し、忍耐をもって信仰を守り抜かせるために、書いたのが黙示録です。

黙示録の構成は、次のようになっています。

預言・手紙の序文と挨拶 1章1節―8節 

第一部 1章9節―3章22節 七つの教会に宛てた手紙

A 1章9節-20節 天上におられるキリストの姿

B 2章-3章 七つの教会への手紙     

第二部 4章1節-18章24節 バビロン(ローマ都)   

に対する災いと裁き

 A 4章-5章  天上の礼拝と巻物を開く小羊    

B 6章1節-18章 第一~六の封印 

  7章 幕間劇(まくあいげき) 第六と第七の場面の間の劇中劇です。本日の説教箇所です。 

  8章1節-5節 第七の封印が開かれる

      8章6節-9章21節 天使のラッパと災い

  10章1節ー11章14節 幕間劇 天使が巻物を渡す

  11章15節ー19節 第七のラッパ

     12章ー13章 悪の力とキリストの戦い

  14章ー15章 小羊と勝利者たちの歌   

  16章 第一~七つの鉢

    17章ー18章24節 大淫婦バビロンの滅亡       

 第三部 19章1節ー22章5節 聖なる都の回復

 A 19章1ー10節 天上界のハレルヤ・コーラス

 B 19章11節ー22章5節 最後の七つの幻視

   19章11節ー16節 白馬の 騎手の君臨                              

   19章17節ー21節 最後の決戦

  20章1節ー3節  サタンの捕縛

  20章4節ー6節 千年間の支配(千年王国)

  20章7節ー10節 ゴグ・マゴグ(サタン)の敗北 

  20章11節ー15節 最後の裁き

  21章1節ー22章5節 新しいエルサレム            

全体の結び 22章6節ー21節 キリストの再臨 

 

 4章と5章には、預言者ヨハネが見た天上の光景が一つの劇のように描かれています。これは聖霊によってヨハネが幻視した礼拝の劇(ドラマ)です。

 天上に神の玉座があり、その玉座に座っている方がおられた。玉座の周りに二十四の座があって、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。玉座の前には七つのともしびが燃えていた。これは神の七つの霊である。玉座の周りには四つの生き物がいた。獅子のようなもの、若い雄牛のようなもの、人間の顔のようなもの、鷲のようなものがいた。

それぞれ六つの翼があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく、神をほめたたえていた。二十四人の長老はひれ伏して礼拝し、冠を玉座の前に投げ出した。玉座にいる方の右の手に巻物が見えた。巻物は七つの

封印で堅く封じられていた。七つの封印を開いて、巻物を開くことができるのは神の小羊(キリスト)です。小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。

6章は、小羊が六つ目の封印の第一から第六の封印を開く場面です。その封印が次々に開かれて行った。白い馬、赤い馬、黒い馬、青白い馬が現れた。恐るべき審判の光景が次々に現れた。殉教者の一人一人には白い衣が与えられ、待つように言われた。大地震がおきました。神と小羊の怒りの大いなる日が来たので、地上の人々は恐れて隠れました。

7章の1~17節は、預言者ヨハネが第6と第7の封印の場面の間に、苦難と災いに打ち勝った勝利の賛美・礼拝のドラマを見た、礼拝劇の中の幕間劇です。

7章1~4節は、大地の四隅に四人の天使が立っていて、四隅から吹く風を災いの風をおさえていた。もう一人の天使が神の刻印を持っていて、四人の天使に大声で、「神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない」と叫んだ。刻印を押された人々の数は、イスラエルの十二部族の中から選ばれた十四万四千人でした。

7章9~10節には、この後、世界の民の中から集まった大群衆が白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、王座と小羊の前に集まりました。<白い衣>は、勝利を得る者、殉教者に与えられるものです。<なつめやしの枝>も<白い衣>と同様に勝利や賛美の形容で、キリストのエルサレム入場を迎える群衆の如く、喜びを象徴しています。

彼らは、大声で<救いは王座に座っておられるわたしたちの神と小羊とのものである>と叫びました。救いと勝利の信仰は、神とキリストから与えられると彼らは大声で賛美したのです。

7章11~12節には、天使たちが皆、<玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して>、<アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。>と言いました。<アーメン>で始まり、<アーメン>で終わる神への賛美でした。

白い衣を着た人々は、殉教者(6・9~11参照)であり、信仰の勝利者であり、あらゆる国々から来た人々でした。彼らは<大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」(7:13~14)。彼らは、キリストの十字架によって、罪を赦され、迫害や偶像礼拝を克服した者たちです。彼らは、終わりの日に臨む苦難を乗り越えた信仰の勝利者です(黙1:4~5)。

それゆえ、迫害に耐えた信仰者や殉教者が、天上の礼拝に迎えられ、神とキリストと共に、永遠の命に生きることができることが約束されているのです。玉座の中央におられる小羊のキリストが「かれらの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれる」のです(7:17)。

このことは、キリスト教徒にとっては大きな慰めであり、励ましとなる御言葉です。彼らは「天国に市民権を持つ者たち」とされているのです。

黙示録の最後に記されている主イエスの言葉は、「然り、わたしはすぐ来る。」です。わたしたちも、それに応えて、「アーメン、主イエスよ、来てください。」(黙22:20)と言いましょう。 「マラナ・タ」は、アラム語で、<主よ、来てください>の意です(第1コリント16:22参照) 。

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