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日本福音教団 富 谷 教 会
週 報
降誕節第2主日(新年礼拝)2022年1月2日(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
司会 田中 恵子姉
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 368(新しい年を迎えて)
交読詩編 33(主に従う人よ、主によって喜び歌え)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳) 詩編33篇(旧p.863)
説 教 「新しい歌を主に向かって喜び歌え。」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 474(わが身の望みは)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
〇 オンラインで礼拝に参加できます。設定担当は、斎藤美保姉です。
申し込み先:Eメール munekuni-hemmi@vesta.ocn.ne.jp
次週礼拝 1月9日(日) 午後5時―5時50分
聖書 詩篇63篇1-12節
説教題 「わたしの魂は主を渇き求めます」
讃美歌(21)459 214 27 交読詩編 63
本日の聖書
33:1主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。
2琴を奏でて主に感謝をささげ、十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。
3新しい歌を主に向かってうたい、美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。
4主の御言葉は正しく、御業はすべて真実。
5主は恵みの業と裁きを愛し、地は主の慈しみに満ちている。
6御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。
7主は大海の水をせき止め、深淵の水を倉に納められた。
8全地は主を畏れ。世界に住むものは皆、主におののく。
9主が仰せになると、そのように成り。主が命じられると、そのように立つ。
10主は国々の計らいを砕き、諸国の民の企てを挫かれる。
11主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く。
12いかに幸いなことか、主を神とする国。主が嗣業として選ばれた民は。
13主は天から見渡し、人の子らをひとりひとり御覧になり
14御座を置かれた所から、地に住むすべての人に目を留められる。
15人の心をすべて造られた主は、彼らの業をことごとく見分けられる。
16王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。
17馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない。
18見よ、主は御目を注がれる、主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
19彼らの魂を死から救い、飢えから救い、命を得させてくださる。
20我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。
21我らの心は喜び、聖なる御名に依り頼む。
22主よ、あなたの慈しみが我らの上にあるように。主をまち望む我らの上に。
本日の説教
3節に「新しい歌を主に向かってうたい、美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。」とあります。「新しい歌」とは、新しい恵みに対して新しい賛美をささげるようにという勧めです。「新しい歌」によって歌うのは、<御救いの良い知らせ>(イザヤ40・9)です。「新しい歌」という言葉は、詩篇全体の中に六つあります。普通の音楽の「新しい歌」と違って、この「新しい歌」には、三つの内容があります。
第一にこれは、神に向かっての歌です。神が与えてくださる歌であり(40:4)、神の恵みを覚えて歌える歌です。第二にこれは「賛美の歌](40:3)であり、神の栄光を「ほめ歌う歌」(96:1-3、98:1-4、149:1)であり、神の救いを感謝して歌う歌です。144:9-10や149:4には、「勝利」という語が用いられており、神によって救われた事実が表現されています。第三にこれは、「喜び」の調子に満ちています。33:3に「喜びの声をあげて」とあるように、声をはりあげて喜びに満ちて歌う歌です。98:4には、「全地よ主にむかって喜ばしき声を上げよ。声を放て喜び歌え、ほめうたえ」とあります。新し歌は、どんな暗さの中にもあっても、それに打ち勝って前進する歌でなければなりません。「新しい歌」は、生きた信仰の中から絶えず生まれ出て来るはずのものです。
それでは、詩篇33篇にどんなことが書かれているか読んでまいりましょう。
「1主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。2琴を奏でて主に感謝をささげ、十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。3新しい歌を主に向かってうたい、美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。」
詩篇32篇は、罪を赦された個人の喜びの歌です。「神に従う人よ。主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声を上げよ。」(32:11)で終わっています。
それを受けて、33篇は、「主に従う人よ。主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。」と主を賛美することの勧めで始まります。32篇は個人の救いが主題でしたが、33篇はイスラエルの民が神によって救われた恵みに対て感激を歌った「新しい歌」です。琴や十弦の琴を奏でて歌え、とあります。楽器を使用することを勧めています。「十弦の琴」とは古代の楽器でマンドリンのようなもので、十弦の糸で出来ています。大事なことは主に従うことを、主によって喜び、感謝をささげて歌うことです。
「4主の御言葉は正しく、御業はすべて真実。5主は恵みの業と裁きを愛し、地は主の慈しみに満ちている。6御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。7主は大海の水をせき止め、深淵の水を倉に納められた。8全地は主を畏れ。世界に住むものは皆、主におののく。
9主が仰せになると、そのように成り。主が命じられると、そのように立つ。」
4-5節では、主なる神の道徳性を述べます。「主の御言葉は正しく」と言われているように、世界を治めておられる主の命令のことばが道徳性を持っていることこそ、賛美の根拠です。その「御業はすべて真実」とあります。「主は恵みの業と裁きを愛し」とは、主は恵みの正義をなさる方であり、公正な裁きをなさる方です。
6-9節には、主の創造の力が述べられています。「主の御言葉」による創造については創世記1:3以下や、ヨハネ1:1-3で述べられています。「天の万象」とは太陽・月・星のことです。そして「海の水」は創世記1:9-10で造られ、神の大能による祝福とさばきのために水や海が今も保持され統治されているのです。「主が言われると、そのように存在を始め、命じられると被造物が働き始めた」のです。天地を創造し、義と愛とによってこれを統治する神が、諸国民の運命を支配するのです。
「10主は国々の計らいを砕き、諸国の民の企てを挫かれる。11主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く。」
主が諸国を主権を持って統治される真の支配者であられることを述べています。主のはかりごとはとこしえに立ち、諸国民の企ては破れるのです。国も民も、結局すべてを支配する神の意志に従って動くほかないのです。人類は見えない神の御手によって導かれつつあるのです。神のご計画、ご意志に従って歩む国民にのみ、真の祝福が与えられるのです。
「12いかに幸いなことか、主を神とする国。主が嗣業として選ばれた民は。13主は天から見渡し、人の子らをひとりひとり御覧になり、14御座を置かれた所から、地に住むすべての人に目を留められる。15人の心をすべて造られた主は彼らの業をことごとく見分けられる。16王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。17馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない。18見よ、主は御目を注がれる。主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。19彼らの魂を死から救い、飢えから救い、命を得させてくださる。」
12-15節では、イスラエルの神による選びが述べられます。主を神とし、主が神の国を受け継ぐ者として選ばれた国は幸いです。イスラエルを選び出して御自分の民とされた主は、全人類を御手と御目の中に治めておられる。それはイスラエルを諸国から守り、諸国をイスラエルのために用いるという目的があるからです。
16-17節では、イスラエルに敵対する者のむなしさが述べられます。馬も勇者も、決して国を救うことが出来ないことを、自国の歴史の経験にてらして語ります。選民が恐れなくてはならない者は、ただ神のみです。
18-19節は、主が信仰者の真の保護者であることの告白です。ここでも主の目が注がれるが、それはいつくしみに満ちた目です。「待ち望む人」とは、主に対して畏れをもって仕え、試練の時にも失望せずに心を主に向ける者のことです。主の目が注がれるのは、「魂を死から救う」こと、と「飢え」から救い、命を得させてくださることです。主イエスは牧者であって、羊である私たちを死から救い、みことばとパンをもって豊かに養い、生かして下さる方です。
以上が信仰者に対する賛美の勧めの理由です。
「20我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。21我らの心は喜び、聖なる御名に依り頼む。22主よ、あなたの慈しみが我らの上にあるように。主をまち望む我らの上に。」
始めに、神を賛美することを勧めた詩人は、終わりでは、ひたすら主を待望しています。「我らの魂」「我らの心」という表現によって、待望の感情を表しています。「我らの助け、我らの盾」は、モーセの歌に見られる表現です(申命記33:29)。「聖なる御名に」とは、主の基本的な御性質である聖なることと、それから派生する正義と恩恵に信頼することを示しています(出エジプト記34:6-7)。
結語の22節は、主を賛美する者に主の慈しみがあるようにと祝福を求める祈りと期待です。ひたすら主を待望する祈りで終わります。
賛美の内容が何よりも主の恵みの具体的な指摘にあること、そして賛美は祈りで終わることをこの詩篇は教えています。
「新しい歌」は、バビロン捕囚からの解放を体験した第二イザヤから始まりました。そして新約の黙示録では、天の玉座の前に立つ子羊であるキリストに、長老たちが「新しい歌」を歌いました(黙示録5:9)。「あなたは屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕える王、また祭司となさったからです。彼らは地上を統治します」と歌ったとあります。「新しい歌」は、「終末時に神の到来を迎える」喜びの歌であり、希望の歌です。
「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリント二,5・17)とあります。「大切なのは、新しく創造されることです。」(ガラテヤ6・15)
私たちは、キリストによって与えられた救いの御業を日々新しく覚えて、「新しい歌」を喜び歌いつつ、この新しい年を歩んでいきたいと思います