富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「天国に市民権を持つ者」 ヨハネ黙示録7章1-4、9-12節

2018-10-19 20:36:32 | キリスト教

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

 日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

    聖霊降臨節第23主日 2018年10月21日(日)   午後5時~5時50分 

                               礼 拝 順 序

                                                司会 佐藤 洋子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 358(小羊をばほめたたえよ!)

交読詩編  146(ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)ヨハネ黙示録7章1-4、9-12節(p.460)

説  教   「天国に市民権を持つ者」 辺見宗邦牧師 

祈 祷 

聖餐式    81(主の食卓を囲み)                   

讃美歌(21) 579(主を仰ぎ見れば)                

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

                                 次週礼拝 10月28日(日) 午後5時~5時50分

                                   聖 書  ヨブ記38章1~18節

                                   説教題    「創造」

                                   讃美歌(21)58 157 24 交読詩編148

             本日の聖書 ヨハネ黙示録7章2~4、9~12節

 7:1この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。2わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、 3こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」 4わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。

  9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 10大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」 11また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、 12こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」

                             本日の説教

 「ヨハネの黙示録」の<黙示>とは、神が人に隠されていた真理や神の意志を示すことです。著者は預言者ヨハネです。ローマ帝国の属州であったアジア州(トルコ)の諸教会は、紀元95年頃、ローマ皇帝・ドミティアヌステ帝の時に行われたキリスト教の迫害によって、殉教者が出始めました。教会内部でも偽りの使徒により内部分裂の危機にさらされていました。福音宣教のためにパトモス島(1・9)に流刑の身となっていた預言者ヨハネが、そこで聖霊による幻を通して示された世の終わりに起こる神の審判と神の完全な支配を書き留めたものが「黙示録」です。黙示文学に特有な象徴や奇異な視覚的表現が用いてられているのは、キリスト教徒を迫害する圧制の中では、ローマ帝国に対する神の裁きをあからさまに表現できないからです。黙示録では、キリストを小羊という言葉で表現しています。また、破滅するローマの都をバビロンという言葉で表現しています。

 どんなことが書かれているのか、そのあらましをお伝えしましょう。

 「ヨハネの黙示録」の一章は、初めの挨拶と、ヨハネに啓示された幻の顛末を記し、二章から三章にかけては、アジア州の七つの教会(エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフ)へのメッセージが記されています。

          

    四章以下が、ヨハネが見た幻です。                             ヨハネは幻の中で、「開かれた門が天にある」(4・1)のを見ます。そして、「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう」という声を聞きます。ヨハネが上って行くと、天には玉座があり、そこに、神さまが座っておられました。その玉座の周りには、24の座があって、そこには長老たちが座っており、玉座の神さまを礼拝していました。また、玉座の前には、4つの不思議な生き物がおり、やはり神さまを賛美していました。そして、天使たちが、玉座の神と長老と4つの生き物を囲むように立っていました(黙示録4章)。

 玉座の神は、その手に巻物を持っていました(5・1)。巻物の中には、これから起こる神の計画が記されていました。その封印(ふういん)を解く者として、七つの角と七つの目を持った小羊が登場します(5・6)。この小羊はイエス・キリストを表しています。ヨハネが見ていると、小羊が神の前に進み出て、巻物を受け取り、七つの封印を一つづつ開いていきます(6・1)。封印が解かれるたびに、弓を持つ者が乗った白い馬、地上の平和を奪う力を持つ者が乗った赤い馬などが現れます。これらは内乱や飢餓、疫病といった人災・天災を意味するようです。

 第五の封印が開かれると殉教者たちが現われて神の裁きを催促しますが、イエスからしばらく待つように命じられます(6・9-11)。時を経て殉教者が一定数に達しないと神の裁きは下らないという考えを反映しています。

 第六の巻物では、太陽が暗くなり月は赤く染まり、星は地に落ちることが記され、天変地異が起こることが暗示されています(6・12-13)。そして天使が現れて人々の額に刻印を押します。イスラエルの十二部族から死を免れる人々としてそれぞれ一万二千人ずつが選ばれるのです(七章)。

 小羊が第七の最後の封印を開いたとき、七人の天使が神の前に立ち、彼らに七つのラッパが与えられました(8・1)。天使が順番にラッパを鳴らすと、再び天変地異が発生します。六つのラッパが鳴らされるまでに、地上の三分の一が焼け、海の生き物の三分の一が滅び、恐ろしい姿のイナゴの大群が刻印を持たない人に襲いかかります(8・7-9・12)。さらに四人の天使が人間の三分の一を滅ぼすために遣わされます。その騎兵は二億で、馬は獅子のような顔で、口から硫黄を吹きます(9・13-19)。この時生き残った人々はなおも偶像を拝み続け、悔い改めることをしませんでした(9・20-21)。ヨハネは天使から渡された小さな巻物を食べます(10・1-11)。

  第七のラッパが吹き鳴らされると、最後の審判の時が来たことが宣言されます(11・13-18)。神の民を迫害する女と竜が天で天使と戦い、地上に投げ落とされます(12・1-18)。獣が神の民と戦うために海の中から上ってくる(13・1-16)。エルサレムのシオンの山の小羊(14・1-5)。

 さらにその七人の天使が、最後の七つの災いをたずさえていた(15・1)。次々と神の怒りを地上に注いでいきます(16・1)。ついに、大淫婦が裁かれる(17・1-18)。バビロン(ローマの都)に対する裁きがあり、バビロンは滅亡します(18・1-24)。

 大群衆が神を賛美します(19・1-6)。小羊(キリスト)と花嫁(教会)の婚宴(19・7-10)。そして「千年王国」の時代が訪れます。地上にはメシアが降臨し、殉教者がよみがえります。彼らによって「神の国」が築かれます。サタンは地の淵につながれ、その影響は及びません。愛と秩序にあふれる平和な時代が訪れるのです。楽園の日々は千年続きます(20・4-6)。

 しかしこの国が終わる時、世界の終末が来ます。この時、サタンが復活し、ゴグとマゴグという者が民をそそのかして神に戦いを挑みます。しかし、天から火が降ってきて、地上が破壊され、皆死者となります(20・7-10)。死者たちが神によって選別される最後の審判へと移っていきます。審判は死者たちの生前の行いを記してある「命の書」によって裁かれます。これによって天国と地獄に振り分けられるのです。「命の書」に名前が載っていない者たちは、地獄に落とされてしまうのです(20・11-16)。

 新しい天と新しい地が現れます。さらに新しい都エルサレムが、神のもとを離れ天から降ってきます(21・1-2)。神と子羊の玉座からいのちの水の川が流れます(22章1-5節)。そして幻による物語は終わります(22・7)。

   最後に、「然り。わたしはすぐに来る」というキリストの再臨が告げられ、「アーメン、主イエスよ、来てください(マラナ・タ。アラム語の「マラン」が主を、「アタ」が「来てください」を意味します。)」という応答があり、「主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように」というヨハネの祝祷をもって、黙示録は終わります。

 今日の聖書の箇所、7章1~17節は、礼拝劇の中の幕間劇です。

 小羊が<玉座に座っておられる方の右の手から>(黙5・7)受け取った巻物の封印が次々に開かれ、第六の封印(6・12)を開くと、大地震が起きて、天の星は地上に落ち、地上の山も島もみなその場所から移されました。災害の激しさに王をはじめすべての人々は恐怖の底に突き落とされました。神と小羊による裁きの日が近づいたのです。預言者ヨハネは<だれがそれに耐えられるであろうか>(6・7)と自問します。今や最後の封印が残されているだけです。するとヨハネは玉座に座っておられる方と小羊の怒りに耐える者たちを見ます。

  「この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、こう言った。『我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。』わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。」(7:1-4)

  <大地の四隅>とは、天の四隅から吹く風が災いをもたらすと考えられていたように(エレミヤ49・36)、地の四隅から吹く風も災いをもたらすと考えられています。当時の天と地と下界からなる三層の世界観によると、地は四角形の平面でした。<生ける神の刻印を持って>いる一人の天使が、<大地><海><木>を損なうことを許されている四人の天使を制止します。<神の僕たち>には、神の<刻印>が押されていきます。キリストの預言者、殉教者は<神の僕>なのです。<刻印>は、権威、所属を表すために広く用いられました。イスラエルの十二部族の中から選ばれた神の僕たちが、患難時代の中で天使によって、神のさばきから守られるために神の刻印を押されたのです。刻印を押された人々の数は、十四万四千人でした。

  「この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」(7・9-10)

 世界の民の中から集まった大群衆が白い衣を身に着け。手にナツメヤシの枝を持ち、王座と小羊の前に集まりました。彼らは地上ではなく、天上にいます。<数えきれないほどの大群衆>は、殉教者たち、信仰の勝利者たちです。彼らは天上の<玉座の前と小羊の前>に立っています。彼らは<あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民>の中から集まっています。<白い衣>は、勝利を得る者、殉教者に与えられるものです(3・5、6・9-11)。<なつめやしの枝>も<白い衣>と同様に勝利や賛美の形容で、キリストのエルサレム入場を迎える群衆の如く、喜びを象徴しています。彼らは、大声で<救いは……神と小羊とのものである>と叫びました。救い・勝利の信仰は、神とキリストに帰せられると彼らは大声で賛美したのです。

 「また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」(7・11-12)

 5章2節とほとんど同じ賛美です。5章では、キリストに対する賛美でしたが、ここでは神に対する賛美です。ここには、5章の「富」の代わりに、「感謝」が神にあるようにと賛美しました。<アーメン>で始まり、<アーメン>で終わる神への賛美の形がここにあります。アーメンは、「まことに」という意味のヘブライ語(アラム語)です。祈ったことの実現を願うことばです。

  「彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える」のです。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を」張ります。「幕屋を張る」とは、神が人と共に住むことを意味します。「彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことは」ありません。「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるから」です。

 この礼拝の光景は、迫害に耐えた信仰者や殉教者が、天上の礼拝に迎えられ、神とキリスト共に、永遠の命に生きることができることを約束しています。キリスト教徒にとっては大きな慰めであり、励ましとなる御言葉です。ヨハネの黙示録は、この世の終末と神の国の完成を告げ、キリストの再臨と勝利を確信し、忍耐をもって信仰を守り抜くように殉教の危機にさらされている諸教会の信徒を激励しました。天上に迎えられるキリスト者は、永遠の命を与えられ、神・キリストと共に過ごす、神の国の永住権を与えられるのです。。

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