富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」 フィリピの信徒への手紙3章10-15節

2014-05-11 20:43:26 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「(神は)神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

  日本キリスト教富谷教会 週報

復活節第四主日    2014年5月11日(日)

仙台青葉荘教会壮年会と合同礼拝    12時40分~13時20分 

礼 拝 順 序

司会 斎藤 悦夫兄 

前 奏          奏楽 松本 芳哉兄   

讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)

交読詩編   96(新しい歌を主に向かって歌え)

主の祈り   93-5、A

聖 書  フィリピの信徒への手紙3章10-15節

説 教「何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」  

                  辺見宗邦牧師 (富谷教会牧師)

讃美歌(21) 517(神の民よ)

献 金

感謝祈祷           櫻井秀美兄   

頌 栄(21)  24(たたえよ、主の民)

祝 祷             潮 義男牧師 (仙台青葉荘教会牧師)              

後 奏 

交読詩篇96

1新しい歌を主に向かって歌え。     全地よ、主に向かって歌え。
2主に向かって歌い、御名をたたえよ。 日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
3国々に主の栄光を語り伝えよ      諸国の民にその驚くべき御業を。
4大いなる主、大いに賛美される主    神々を超えて、最も畏(おそ)るべき方。
5諸国の民の神々はすべてむなしい。  主は天を造られ
6御前には栄光と輝きがあり        聖所には力と光輝がある。
7諸国の民よ、こぞって主に帰せよ    栄光と力を主に帰せよ。
8御名の栄光を主に帰せよ。        供え物を携えて神の庭に入り
9聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。   全地よ、御前におののけ。
10国々にふれて言え、主こそ王と。   世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。

   主は諸国の民を公平に裁かれる。

11天よ、喜び祝え、             地よ、喜び躍れ

   海とそこに満ちるものよ、とどろけ
12野とそこにあるすべてのものよ、喜び勇め  森の木々よ、共に喜び歌え
13主を迎えて。  

  主は来られる、地を裁くために来られる。   主は世界を正しく裁き

   真実をもって諸国の民を裁かれる。

 

主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来(きた)らせたまえ。

みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ。

我らの日曜の糧(かて)を、今日も与えたまえ。

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ。 我らをこころみにあわせず、

悪より救い出(いだ)したまえ。 国とちからと栄えとは 

限りなくなんじのものなればなり。  アーメン。

 本日の聖書 フィリピの信徒への手紙3章10~15節

10わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、11何とかして死者の中からの復活に達したいのです。

12わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです。13兄弟たち、わたし自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、14神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。15だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。

 本日の説教

  私は中高生時代、何故この世に、親と子の悲しい別れの死があるのかと悩み、どうして死がこの世にあるのか、死の無い世界に生まれたかったと真剣に思いました。ついに父母に対して、私は「死の有る世界に生まれたくなかった」と訴えたことを思い出します。

  今日は「母の日」ですが、今は亡き父母に対して、「私を産んでくれてありがとう」と言えますが、当時は「どうして私を産んだのか」という、親不幸な言葉を語ったことが悔やまれます。

  生あるものが死ぬことを、自然の摂理として人間にもあてはめることができるのでしょうか。動植物と違って、精神と人格を備えている人間は永遠の愛に結ばれて生きたいのです。

  釈迦のように、この世に永遠なるものはない、諸行は無常であるとして悟る他ないのでしょうか。なんと聖書には、神が最後の敵として滅ぼすのは「死」である、とあります。この世に、「死」があってはならないのです。人間だけでなく、被造物すべてが、「滅びへの隷属から解放される」ことを切に待ち望んでいると聖書に記されています。死のない世界がくることを待ち望んでいるのです。

  聖書は、永遠の神からの人間への啓示の書です。聖書は、人間の神に対する不従順の罪によって、人は死ぬことになったと説きます。今はまだ、この世に死が支配しているので、すべての人は死ななければなりません。しかし、神の御子イエス・キリストは、人を罪と死から救うために、この世に来られ、十字架と復活により、永遠の命にあずかる道を開かれました。キリストは死人の中からよみがえり、私たちの復活の初穂となられました。キリストの来臨と世の終わりに、神は最後の敵として死を滅ぼされます。そのとき眠っている死者は復活し、最後の審判を受けます。神に敵対するすべてが滅ぼされ、死のない世界が実現するのです。なんとすばらしい救いと希望が与えられているではありませんか。

 神の御子イエス・キリストがこの世に救い主としてきてくださったことのより、この世は罪と死の支配する世界から解放される、すばらしい世界にされたのです。この世に生まれたことを心から喜び感謝できる世界になったのです。永遠の愛に生きることのできる世界となったのです。

 私たちは、教会の礼拝では、使徒信条を告白します。「我は…身体(からだ)のよみがえり、永遠の生命(いのち)を信ず」と唱えます。しかし、私たちは自分が、世の終わりに復活することを真剣に考えているでしょうか。

 死人は火葬にされて白骨と灰となり、葬られ、朽ちてしまいます。それを目にするとき、復活するとは到底考えられなくなってしまいます。確かに、「死者の復活」ということは、信じられないのがあたりまえです。「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとっては、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです(コリント一、2:14,15)」。

  キリストを信じると言いながら、「死者の復活]について、無関心な人たちが多いのではないかと思います。実はこの無関心が信仰生活に大きな影響を及ぼすのです。パウロは、「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。(18節)」と言っています。「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者」とは、自分たちの「良い行い」によって救いにあずかろうとする人たちを指すだけではありません。その人たちは神の律法のすべてを満たすものでなければなりません。そのような自分を誇ろうとする偽善者だけでなく、自分たちの復活に目を向けない人たち、復活を心から信じ求めていないキリスト者も含まれるのです。(コリントの信徒の手紙一、15章12~19参照)。

  洗礼によって、罪を赦され、聖霊を受け、永遠の命を与えられ、すでに「キリストの復活」にあずかっている、霊的に復活しているとし、復活ということがなくても、死んですぐ天国に迎えられるという信仰であるならば、それは神に敵対する生き方に陥ってしまうのです。死者の復活がなければ、どのような生き方をしても、この身体はやがては滅んで無くなるだけです。そうであれば、生きている間に飲み食いして大いに楽しむ他は、人生に意味が無くなります。「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」という、この世の事しか考えない生活をすることになってしまうのです。「死者からの復活」の信仰なくしては、殉教の死など、とてもできないことになってしまいます。教会は殉教者の貴い血の上に築かれているのです。

 使徒パウロキは、キリスト・イエスによって捕えられ、罪を赦され、救われているから、もう安心だ、というのではなく、「救われた者として」、その恵みに応えて、ますますキリストにある者としてふさわしい良い生活を目指し、何とかして復活にあずかり、キリストと一体となりたいという思いから、キリストを捕えようと努めているのです。「キリストにを捕えたとは思っていないのです。なすべきことはただ一つ、イエス・キリストを追い求めて、ひたすら走っているのです。パウロは、「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。」と勧めています。私たちも、パウロの倣って、キリストと一体とさせていただくために、走ろうではありませんか。

     平成二十六年五月十一日(日)  

        仙台青葉荘教会壮年会と富谷教会との合同礼拝後、茶室での呈茶

               会    記

     床 「伊達政宗書状」今大路玄鑑親清宛て

      脇棚 キリスト磔刑像(隠れキリシタン所持)

            花    利休梅、日々草

            花 入   耳付き

         香 合   聖書              今岡三四郎造

            風 炉   切合       

             水 指    十字文現川俵型(鵬雲斎箱)

             薄 器  IHS螺鈿葡萄蒔絵吹雪     前端雅峯造

             茶 杓  高山右近作「御坊ヘ」写し   池田瓢阿作

             茶   十字文黒織部 岩手県東和町大籠教会所持

              替    エルサレムクルス紋聖杯       椿巌三造

                 替    ヴァリニャーノ印章入茶碗    

                  蓋 置  政宗所持黄金のブローチ型  国領東斎造

              建 水  

              御 茶  青松の白                    大正園詰

               菓 子  子雀                     玉沢総本店製

 

伊達政宗の書状の軸の説明

    政宗公は、江戸屋敷にて慶長十二年(一六〇七年)閏(うるう)四月四日(五月二十九日)に、大奥に出入れする名医の玄鑑(今大路親清)宛に書状を送りました。

    「明後日の六日の朝に、お茶を一服差し上げたいと存じます。当日は信濃国小諸城主 (五万石)の仙石秀久殿、上野国館林城主(十万石)榊原康勝(当年十七歳)殿とご一緒にお出でください。粗茶を差上げます。ご返信で御都合を承りたく存じますので、ご返信をください。謹んで申し上げます)。」

   (追伸)「お出でいただければ、取り分けありがたく存じます。何とぞご先約がありませんようにと願うばかりである。 かしく」。

       伊達政宗(一五六七~一六三六)の時代は、キリスト教が伝来し、多くのキリシタン大名が生まれた時代でした。ザビエルの布教開始から三年後の天文二十一年(一五五三年)から、元和六年(一六二〇年)までの、六十七年間にキリシタンになった大名は八十七人に及びました。 

   政宗は江戸でソテロと出会い、仙台でソテロからキリスト教の教えを聞いたが、彼はキリシタンとなるのは周囲が許さないと述べたと言われています。仙台藩はキリスト教に寛容であり、他藩が慶長十八年(一六一三年)の頃から徹底的な弾圧を行なっていたのに対し、支倉常長が帰る元和六年の段階まで、厳しい弾圧をしませんでした。その間、東北にイエズス会宣教師や、関西方面から追われたキリシタンが移り住んで布教したため、各藩にキリシタンが増えました。 

    政宗は、慶長十八年(一六一三年)フランシスコ会宣教師ソテロと支倉常長をスペイン王とローマ法王に遣わし、スペイン領のメキシコとの通商と宣教師の派遣を求めました。宣教師が来ることのよって西洋の文物が入ってくることを期待したのかも知れません。 

 七年ぶりで日本に帰ってきた常長は、長崎奉行から一切を調べられ、宣教をしないことを条件に仙台に帰る許可が与えられました。藩籍を抜くこと、隠棲することも命じられたが、その処置は藩に委ねられました。常長は翌年五十一歳で死去しました

  徳川幕府の切支丹禁制の圧力により、政宗は仙台藩内でのキリスト教の布教活動を許すことをを断念し、禁制に転じました。政宗が、死の前年に詠んだ漢詩「馬上少年過ぐ」には、「馬上少年過ぐ、時平(ときたいらか)にして、白髪多し。残骸(ざんく)天の許す所、楽しまずんば、是いかん。(楽しまずして是を如何にせん)」と詠っています。「老後を楽しまないで、どうするのだ」と、明日は死ぬ身の、現世のことだけに生きているさびしい気持ちが感じられます。

 政宗は、常長の死から十五年後に、満六十八歳で死去しました。

 

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