ねえ、自殺したらボクどうなるの?

2007年10月23日 08時50分19秒 | Weblog
昨今私たちの間で大きな問題となっている年少者の自殺。

本来であればこれから将来長い人生を生きてゆくはずの子供達が自分たちの手で自らの命を絶ってしまう行為は社会的に大きな問題となっています。

社会が複雑になるにつれ、世の中の目に見えないところではまともな精神では理解できないような陰湿ないじめなどが繰り広げられ、幼い子供達を自殺へと駆り立てているといいます。

このような悲しい出来事をなくすには、まず私たちが自殺の意味を考えることが必要だと思います。

みなさんは「ひとは何故自殺してはいけないの?」と聞かれたらすぐに答える事が出来ますか?

今回は自殺に関してスピリチャリズムの観点からお話させて頂きます。

自殺の意味を考える前に知っておきたいこと
桃花
わたしたち人間はこころを進化するために今を生きています
自殺の意味を考える前に知っておきたいこと?

それはやはり私たち人間がなぜいまこの世の中でこうして生活しているのかということではないでしょうか?

これには宗教や人種によりさまざまな見解があり、無心論者の中には「人生に意味などない」と考える人もいることでしょう。人それぞれ信仰はあると思いますが、スピリチャリズムの世界では、ほぼコンセンサスといえる回答が用意されています。

それは「この世という物質界で人生というカリキュラムを通していろいろな事を学びこころ(魂)を進化させること」とまとめることが出来るでしょう。それでは、何故私たちは「魂を進化」させなくてはならないのでしょうか?

それは宇宙(神)という名の意志(創造のエネルギー)の目的が永遠に進化することにあるからです。そして私たち個人の魂も実は宇宙の一部を担う大切なエネルギー体なのです。

そして私たち一人ひとりは何度も何度も輪廻転生を繰り返しながら物質界の人生という学校でいろいろなことを学びます。この学びを通して、私たちの魂は磨かれ進化しそして宇宙全体の進化に寄与してゆくことになるのです。

それでは、何故私たちは自殺をしてはいけないのでしょうか?

「私たちの命は私たちのものだから勝手でしょう?」「毎日苦しいことばかり。死んでしまっ方が楽かも。」「生きている意味が全くわからない。」「何も物事が思い通りに行かない。絶望。死のう!」「毎日いじめられてとても辛い。誰も助けてくれない。きっと、私なんか存在しない方がいいんだ。」「私は大きな間違いを犯してしまった。おてんとうさまにもはや顔向けが出来ない。一層死んでしまおう。」自殺に思い至る動機は実にさまざまあると思います。

でも、「一体自殺をした後に私たちは本当はどうなるのだろう?」と真剣に考えながら自殺する人は少ないのでは?

私たち人間は自殺をしたら一体どうなってしまうのでしょうか?

この問いかけに対してシルバー・バーチという古代霊が明確に答えてくれています。

シルバー・バーチが教える自殺の意味
みなさんの中にはシルバー・バーチをご存知ない方も多いことでしょう。

シルバー・バーチとは、イギリスにおけるとある降霊会(霊界から霊を呼び出してコミュニケーションを行うための集まり)にあるとき突如現れた高級霊の仮の名前です。簡単に言ってしまえば、神様のメッセージを人間に伝えるための天使のような役割を持つエネルギー体(霊人)と考えれば良いでしょう。

自殺に関してシルバー・バーチはこのように語っています。(以下 「シルバー・バーチの霊訓」より抜粋)

問「自殺した者は霊界でどうなるでしょうか」
シルバー・バーチ「それは一概には言えません。それまでどんな地上生活を送ったか、どういう性格だったか、霊格の高さはどうかによります。とはいえ、その動機が一番問題です。キリスト教は自殺の全てを一つの悪と考えますが、私たち(霊界の霊人たち)はそうは考えません。地上生活を自らの手で打ちきることは決して良いことではありませんが、中には情状酌量の余地のあるケースがあることも事実です」

問「でも、自殺して良かったと言えるケースはないでしょう」
シルバー・バーチ「それは絶対にありません。自分の生命を縮めて、それでよかろうはずはありません。しかし、自殺した者がみな死後暗黒の中で何千年何万年も苦しむという説は事実に反します」

問「自殺行為は霊的進歩の妨げになりますか」
シルバー・バーチ「もちろんです」

人間は勇気を持って生きていれば必ず光が見える!
問「神は耐えきれないほどの苦しみは与えないとおっしゃったことがありますが、自殺に追い込まれる人は、やはり耐えきれない苦しみを受けるからではないでしょうか」
シルバー・バーチ「それは違います。その説明の順序としてまず、これには例外があるということから話を進めましょう。いわゆる精神異常者、霊的に言えば憑依霊(ひょういれい)の仕業による場合があります。この問題はいずれ別の機会に譲るとして、いずれにせよ憑依のケースはごく少数なのです。大多数は、私に言わせれば臆病者の逃避行為に過ぎません。果たすべき義務に真正面から取り組むことが出来ず、いま自分が考えていること、つまり死んでこの世から消えることが、その苦しみから逃れる一番楽な方法だと考えるわけです。

ところが死んでも、というよりは死んだつもりなのに、相変わらず自分がいる。そして逃れたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分につきまとう。その精神的錯乱が暗黒のオーラを造り出して、それが外界との接触を遮断します。そうした状態のまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。

しかし、すでに述べたように、一番大切なのは動機です。何が動機で自殺したかということです。ままならぬ事情から逃れるための自殺は、今述べた通りそう思惑通りには行きません。一方、これはそう多くあるケースではありませんが、動機が利己主義ではなく利他主義に発しているとき、つまり自分がいなくなることが人のためになるという考えに発しているときは、たとえそれが思い過ごしであったとしても、さきの臆病心から出た自殺とは全く違ってきます。

いずれにせよ、あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。みんな自分自身の手で自分の人生を書き綴っているのです。一旦書き記したものはもう二度と書き換えるわけにはいきません。ごまかしはきかないのです。自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。だからこそ私は、あくまで自分に忠実でありなさいと言うのです。

いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥底に潜む勇気が湧き出てきます。その時あなたはその分だけ魂を進化させたことになり、霊界からの援助のチャンスも増えます。背負いきれない荷は決して負わされません。なぜならその荷はみずからの悪業がこしらえたもの(注:必ずしも今生に於けるものとは限らない)だからです。決して神が“この者にはこれだけのものを背負わせてやれ”と考えてあてがうようなそんないい加減なものではありません。

宇宙の絶対的な法則の働きによってその人間がそれまでに犯した法則違反に応じて、きっちりとその重さと同じ重さの荷を背負うことになるのです。となれば、それだけの荷をこしらえることが出来たのだから、それを取り除くことも出来るのが道理のはずです。つまり悪いこと、あるいは間違ったことをした時のエネルギーを正しく使えば、それを元通りにすることが出来るはずです」

子供達の自殺をなくすために出来ること?
シルバー・バーチの説明でスピリチャリズムにおける自殺の意味はご理解出来たこととも思います。

とはいえ、自殺がどんなに良い事でないとわかっていても、その原因となる悲惨ないじめがなくならない限り幼い子供達はこれからも自らの命を絶ち続けることでしょう。

それではいじめはどうしておこるのでしょうか?

人間が生まれてきた意味をしっかりと理解して、人の痛みや思いやりを学んできた子供達の間でいじめがおこることは絶対にあり得ません。

心理学的には、いじめは、いじめる方もいじめられる方もこころの救いを必要としているといわれます。

子供達にきちっと人生の意味を学ばせて上げることが出来るのは誰なのでしょうか?

子供達にこころの救いを差し伸べてあげることが出来るのは一体誰なのでしょうか?

もう一度私たちみなが自らに問いかけてみることが必要なようです。
http://allabout.co.jp/interest/kaiun/closeup/CU20061103A/index4.htm

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