その・あやこ 1931(昭和6)年、東京都生まれ。54年『遠来の客たち』が芥川賞候補となり文壇デビュー。夫は作家の三浦朱門氏。 保守の論客としても知られるが、靖国問題についてはコメントをしない主義。だが取材は小泉首相が靖国神社を参拝した終戦記念日の翌日だった。敢えて問うと「わたくしは答えませんよ。心の内部のことは。祈りは神とその人の間だけのヒミツの会話です。それをわからない国と人がゴチャゴチャ言うからいけないんです」と語った。
【発売中「晩年の美学を求めて」で“指南】
「100%確実なのは人間死ぬことなの。皆さん防災訓練なさるでしょ。でもね、それはさぼっても多分、ビルの火災には遭わない。けれど死は必ず来る。なのにこの国の教育は、死を全く教えない」
今春出版した『晩年の美学を求めて』(朝日新聞社)が好評だ。老年本は引きも切らないが、40歳で『戒老録』を出版、クリスチャンで「死の教育」にも携わってきた。その言葉、“噛みごたえ”はひときわだ。
「活躍してきた人も、老年になり体力が衰える。病気とどう付き合うのか。世の中から『いらない』といわれることに、どう向かうか。迎え撃つのにおもしろいテーマなんです」
【死は必ず来るもの。どう迎え撃つか】
この人にかかれば、老年さえ「迎え撃つ」ものとなる。
「例えば鳥インフルエンザのワクチン。足りない時には、年寄りにはうたないでいて、犠牲にすべき。日本人は、そんなことはあっちゃいけないと言うけれど、年寄りはそれを承認する勇気が必要です」
一昨年の新潟県中越地震を取り上げた項では、避難所となった体育館で呆然と座り込む老人たちを「本当に何もできない人だったのか」と喝破。
「地震と水害の後の不思議な恩恵は、とにかく燃料が身近にたくさんあること」として、米どころならそこらにある米を「炊いていればいい」と主張する。
「老人は若者に金を貸せ」と言ったのは33歳の某元経営者だが、こちらは74歳の当事者。
老いを「おもしろいですよ、とっても。人間意地悪になるの。二重三重にも人生を楽しめる」と、朗らかに笑う。
一方で「最近の高齢者には依頼心の強い人が目立つような気がする」と憂う。
「間もなく世の中、動かなくなるんじゃないかしら。バス代も医療費も取れる人からはもう少し取ったほうがいい。対価は必ず払わなくてはならない」
そしてこうも言う。
「タダは、劣等者と認めること」
【「人生おもしろかった」と言えるよう】
今年5月、足を骨折し入院した。「車いすでエレベーターに乗るでしょ。誰も乗ってないと、立てないから3階に行きたくてもボタンに手が届かない。どうしたらいいかな? 時間はいくらでもある。じっと乗っていて、乗ってきた人に頼みます。そうすればいつかは3階に行ける」
同年代へのメッセージは明快だ。
「闊達さを、老年はもったほうがいい」「若者が言えないことも、老人が言いたい放題言えばいい。どうせ死んじゃうんだから、イジメられませんよ」
透徹した美学を支えるのは「晩年の良さはどんなにひどい世の中になっても、それほど長く生きていなくて済むということ」という「悲観的」な視点。そしてその視点を、宗教が裏付ける。
大事をなそうとして/力を与えてほしいと神に求めたのに/慎み深く従順であるようにと/弱さを授かった/より偉大なことができるようにと/健康を求めたのに/より良きことができるようにと/病弱を与えられた…
米国のとある医療施設にあるという一片の詩が、本書にある。「心の貧しい人々は幸い」と聖書はいう。「心の貧しい人というのは、神以外にたのむものがない、ということ」。すべてを喪(うしな)う死を控えた晩年は、誰もがその境地に近づき得るということか。
そして死の前、人は2つのことを点検する、と考える。
「自分がどれだけ深く人を愛し愛されたか」、そして「どれだけおもしろい体験ができたか」-である。
「人生、おもしろかった」。私事で恐縮だが、10年前、66歳で他界した記者の父は、死の数日前、笑顔とともに深く嘆息した。
この人もまた、そうつぶやいて死ねる幸せな人なのだろう。
ペン・内藤敦子
カメラ・門井聡
http://www.zakzak.co.jp/people/20060826.html
【発売中「晩年の美学を求めて」で“指南】
「100%確実なのは人間死ぬことなの。皆さん防災訓練なさるでしょ。でもね、それはさぼっても多分、ビルの火災には遭わない。けれど死は必ず来る。なのにこの国の教育は、死を全く教えない」
今春出版した『晩年の美学を求めて』(朝日新聞社)が好評だ。老年本は引きも切らないが、40歳で『戒老録』を出版、クリスチャンで「死の教育」にも携わってきた。その言葉、“噛みごたえ”はひときわだ。
「活躍してきた人も、老年になり体力が衰える。病気とどう付き合うのか。世の中から『いらない』といわれることに、どう向かうか。迎え撃つのにおもしろいテーマなんです」
【死は必ず来るもの。どう迎え撃つか】
この人にかかれば、老年さえ「迎え撃つ」ものとなる。
「例えば鳥インフルエンザのワクチン。足りない時には、年寄りにはうたないでいて、犠牲にすべき。日本人は、そんなことはあっちゃいけないと言うけれど、年寄りはそれを承認する勇気が必要です」
一昨年の新潟県中越地震を取り上げた項では、避難所となった体育館で呆然と座り込む老人たちを「本当に何もできない人だったのか」と喝破。
「地震と水害の後の不思議な恩恵は、とにかく燃料が身近にたくさんあること」として、米どころならそこらにある米を「炊いていればいい」と主張する。
「老人は若者に金を貸せ」と言ったのは33歳の某元経営者だが、こちらは74歳の当事者。
老いを「おもしろいですよ、とっても。人間意地悪になるの。二重三重にも人生を楽しめる」と、朗らかに笑う。
一方で「最近の高齢者には依頼心の強い人が目立つような気がする」と憂う。
「間もなく世の中、動かなくなるんじゃないかしら。バス代も医療費も取れる人からはもう少し取ったほうがいい。対価は必ず払わなくてはならない」
そしてこうも言う。
「タダは、劣等者と認めること」
【「人生おもしろかった」と言えるよう】
今年5月、足を骨折し入院した。「車いすでエレベーターに乗るでしょ。誰も乗ってないと、立てないから3階に行きたくてもボタンに手が届かない。どうしたらいいかな? 時間はいくらでもある。じっと乗っていて、乗ってきた人に頼みます。そうすればいつかは3階に行ける」
同年代へのメッセージは明快だ。
「闊達さを、老年はもったほうがいい」「若者が言えないことも、老人が言いたい放題言えばいい。どうせ死んじゃうんだから、イジメられませんよ」
透徹した美学を支えるのは「晩年の良さはどんなにひどい世の中になっても、それほど長く生きていなくて済むということ」という「悲観的」な視点。そしてその視点を、宗教が裏付ける。
大事をなそうとして/力を与えてほしいと神に求めたのに/慎み深く従順であるようにと/弱さを授かった/より偉大なことができるようにと/健康を求めたのに/より良きことができるようにと/病弱を与えられた…
米国のとある医療施設にあるという一片の詩が、本書にある。「心の貧しい人々は幸い」と聖書はいう。「心の貧しい人というのは、神以外にたのむものがない、ということ」。すべてを喪(うしな)う死を控えた晩年は、誰もがその境地に近づき得るということか。
そして死の前、人は2つのことを点検する、と考える。
「自分がどれだけ深く人を愛し愛されたか」、そして「どれだけおもしろい体験ができたか」-である。
「人生、おもしろかった」。私事で恐縮だが、10年前、66歳で他界した記者の父は、死の数日前、笑顔とともに深く嘆息した。
この人もまた、そうつぶやいて死ねる幸せな人なのだろう。
ペン・内藤敦子
カメラ・門井聡
http://www.zakzak.co.jp/people/20060826.html
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