塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

クラブの個性を味わえる時代になりました

2019-09-18 00:52:39 | 日記
 Jリーグが誕生して25年以上の月日が経過しました。

 ここにきて、各クラブの個性がより明確になってきた気がして、より興味深く思えます。

 例えばアントラーズ。

 彼らはユヴェントスのように、補強から監督指名、そして国内を制圧してきた歩みも含めて非常に酷似しています。

 一方で両クラブとも「大陸」での優勝回数は多くなく、今後大陸での戦いぶりがどのように変化してゆくかが気になります。

 浦和レッズのように、国内リーグよりも天皇杯やチャンピオンズ・リーグに強いという印象を与えるクラブもあれば、川崎フロンターレのように、2017年の初優勝をきっかけとして

 「エリート・クラブ」

 に仲間入りしたクラブもあります。

 一方で1860ミュンヘンがバイエルン・ミュンヘンに追い付かれ、追い越される気配がなかったブンデスリーガ黎明期のように、日本でも東京ヴェルディというかつての盟主が1部で戦えていません。

 ケルンやメンヘングランドバッハのように、ドイツには大勢のファンを持つクラブ、優勝回数を誇れるクラブがあります。

 しかし、彼らの例でもわかるように

 「現状維持では退歩と一緒」
 「常に前を歩まねばならない」

 と言うサッカーの本質が見えてくる気がしますね。

 日本でもサッカーの浸透度が高まる中で、ミランとインテルの「デルビー・ミラネーゼ」において、本田と長友という両クラブに在籍する選手が出現したことは、大きな実りとなりました。

 将来、世界で最も有名なダービーである

 「エル・クラシコ」

 に、日本人選手が登場するかもしれません。

 Jリーグでも海外でも、日本人選手たちがクラブが持つ個性を感じ、成長の糧にしてもらえたならば、凄く嬉しいですよね。
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わざわざ、という心情を胸中に

2019-09-18 00:38:33 | 日記
 村上春樹さんが新潮文庫から「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」という作品を刊行しています。

 村上さんはスコットランドとアイルランドを訪問し、そこで出会った蒸留所関係者やパブの風景を、飾らない言葉で綴っています。

 その33ページにおいて、アイラ島と呼ばれるスコッチウイスキーの一大産地を訪れた際、島民に

 「普通のブレンデッド・ウヰスキー、いわゆるスコットを飲むこともないのですか」

 と尋ねます。

 島民は訝し気に

 「もちろん飲まないよ」
 「うまいアイラのシングルモルトがそこにあるのに、どうしてわざわざブレンデッド・ウイスキーなんてものを飲まなくちゃいけない?」

 と返答します。

 僕は余市、宮城峡、山崎、白州という、ニッカとサントリーが手掛けるシングル・モルトの「ノン・エイジ」はこれまで味わう機会に恵まれました。

 2002年ワールドカップの際は、イングランドのファンがキリン、アサヒを随分と胃袋に納めたようですが、まもなく始まるラグビー・ワールドカップでは、ウイスキーの番になるかもしれません。

 僕はこの言葉を読むと

 「どうしてスタジアムでサッカーを生観戦できるのに、わざわざテレビの前に腰掛ける必要があるんだ」

 という言葉に置き換えができるように感じます。

 日本代表の試合、つまり遠隔地に出向くことは難しいですよね。

 しかし、リーグのカテゴリーや男女という性別に関係なく、地元にクラブがあるならば、寒くても酷暑でも出かけてみるべき価値があるのではないか、と訴えかけられている気がします。

 ちなみにラグビーもサッカーも、英連邦の形ではなく、独立した形で出場する姿を見ると、現在の英国にみられるEU離脱の原型が見えてくる気もしますが。
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