塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

車を装飾品と考えてみてはどうでしょうか。

2019-06-10 22:40:05 | 日記
 ご年配の方々が安心して運転して頂くためには、各社が競って開発している自動運転、ブレーキ・サポートなど、車自体が持つ安全性、機能性を高めることが必要となります。

 一方でサッカーが用具、医学の面で大きな発展を遂げたように、運転者が纏う衣類にもヒントがあるように思います。

 車の歴史が長い欧州では、車に乗るために開発された衣料品が数多くあります。

 バスケットをするならばバッシュ
 サッカーをするならばスパイク

 をまず買い求める事と同様ですね。

 トッズ、カーシューに代表されるドライビング・シューズ
 バーバリーに代表されるカ―コート
 メローラに代表されるドライビング・グローブ

 欧州では高齢になっても男女問わず、質の高い洋服、メイクで運転する傾向にあると感じますが、今記した衣類は運転中だけでなく、降りても「サマ」になるデザインと着心地のはずです。

 つまり、僕ら日本人は車を基本、移動手段として考えます。

 しかし、欧州では車を自分の衣類を含む装飾品と考えているように思えますね。

 日本の住宅事情や収入を考えた際、ファミリー・カーと呼ばれる「ハイトワゴン」「ミニバン」が大きな需要を持ちます。

 しかし、欧州では家族向けの車よりも、所有者が欲しいと思う車が今でも売れている、そんな気がします。
 
 アウディ、ワーゲン、ベンツとドイツを代表する車はサッカーのスポンサーでもありますし、ファンに向けてのメッセージも備えています。

 ただ一番大事なのは、自分の資質に合う車を買う、手入れをするということでしょうか。

 僕のように運転はさほど、という人間にとってセダンは大きすぎますし、スポーツカーはまさに「猫に小判」ですから。

 自分に見合うリーグを探すサッカー選手同様の心構え、考えてみたいものです。
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運転免許証の交換時に

2019-06-10 22:30:23 | 日記
 心構えはどんな場面でも必要なのだなと痛感した一日でした。

 僕は今日、安全協会まで出向いて運転免許証を更新したのです。

 初めて入手した「令和」と記された証明書なわけですが、当然ご年配の方も多く申請をしていました。

 今は運転する高齢者に手厳しい風潮ですが、僕より若い世代、同世代でも「サンダル」や「つっかけ」で出向いていましたよ。

 基本、技能講習があるわけではありませんが、協会までは自分で運転して来場しているわけでしょう。

 しっかりとした靴でない限り、安全な運転は見込めないと思いますがね。

 松本市と言えば、サッカー好きならば「山雅」「前田大然」「アルウイン」などの用語が浮かぶと思います。

 しかし、進学、移住、転勤でやってきた方は

 「右折がとにかく荒い」
 「事故にあいそうになったことがある」

 と、運転の評判が芳しくありません。

 この右折の荒っぽさは「松本走り」と呼ばれていますが、僕は普段松本市まで出向きませんけれども、彼らが人間的に荒っぽい、すさんでいるとは全く思いません。

 僕もそうですが、右折レーンで右折のタイミングをうかがう際、なかなか出来ずにいると後続の車の列、誰だって気になりますよ。

 松本市はその頻度が高く、もうプレッシャーに耐えられない、従って急発進で右折をしてゆく、ということなのでしょう。

 僕はアウエー観戦をしたことがありませんし、公共交通機関でなく自家用車で出向く方は本当にすごいと思いますので、出かける際は

 1・ガソリンの有無と車の整備、当日の転向
 2・住民の方々の運転の度合い

 は確認した方が良さそうです。

 僕はこれでよほどのことが無いか限り、5年免許証を維持できますので一安心という形です。
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日本サッカー、遂にアイコンの交代の時期か

2019-06-10 01:05:00 | 日記
 Jリーグが誕生して26年の月日が経過しました。

 「日本サッカーの象徴は誰だとお考えですか」

 というアンケートをサッカー好きに提案したならば、多くの方が今でも「三浦知良」と記入すると思います。

 しかし、遂にこの印象、返答が「久保建英」に切り替わりつつあるように感じます。

 1990年代前半の三浦知良
 1990年代後半の中田英寿
 2000年代前半の中村俊輔
 2000年代後半の香川真司
 2010年代前半の本田圭佑

 というように、日本サッカーは攻撃の選手を軸に、その時代の顔を生み出してきました。

 中田のように、自身の引退を内密に秘めた選手がワールドカップに参加した事例もあれば、ブラジル大会のように外的要因(移動距離やリハーサル)が大きくのしかかった事例もあります。

 それでもなお、これだけの名手がいながらも、三浦知良がある種の「象徴」であり続ける理由は

 1・彼の言葉が多くのファンの心を揺さぶる
 2・アンチがいつしかファンに変化した

 という2点があると思います。

 中村俊輔の韓日ワールドカップ落選は大きな反響を呼びましたが、以後2大会は出場しています、(結果と内容はともかくとして)

 しかし、三浦知良は今でも日本代表が目的であり、先日の日本経済新聞でも

 「久保君が18歳で選出されるならば、僕にも可能性あるよね」

 と語りかけました。

 この情熱、平坦でない道のりが、三浦知良たる所以なのえしょう。

 一方で久保建英には、言葉では表現できない「何か」、言い換えれば

 「彼がボールを持つだけで、得点の気配が漂う」
 「久保を見るだけで、入場料を支払う価値がある」

 と言う物でしょうか。

 既にチリのメディアは「日本のメッシ」と呼んでいますが、将来久保建英が逆に技術の基準になり得る要素、あると思います。
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久保建英に見る堂々とした振る舞い

2019-06-10 00:49:10 | 日記
 父と晩酌の後、酔って寝てしまったために、やべっちFCとGOINGでエルサルバドル戦の様子をはしごしました。 

 以前から久保建英の話し方が威風堂々としていると評判でしたが、これはバルセロナ在籍時に培われたもののように思います。

 キングがよく

 「僕は監督も選手も対等な立場だと思っている」
 「だから監督にも自分の感じた事、伝達したいことははっきり言ったよ」

 と僕たちに語り掛けます。

 日本企業がしばしば「ブラック」と指摘される労働環境、パワー・ハラスメントで揺れるのは、新入社員、古参、目上など、

 「敬語、尊敬語、丁寧語を使い分ける必要がある」
 「目下の人間が目上の人間に物をいうことさえ一苦労」
 「目上の人間は自分たちが常に叱責されることを強要されてきたため、現在でも同様の態度を必要とする」

 点があるのではないでしょうか。

 スペインでは恐らく、読む、書くの他に「話す・演説する」事が授業もカリキュラムに多いのではないでしょうか。

 サッカーでも伝達することは不可欠ですが、自分の意思を相手にわかってもらうことは並大抵の事ではありません。

 イビチャ・オシムの言葉があれだけ注目されたのも、正論だけでは人の心に響かず

 1.センス・オブ・ヒュマーの要素
 2・歴史や名作の文章を引用する

 など、多くの引き出しが必要となります。

 久保もスペインで暮らす際に、いかにアジア的な発想とスペインの発想を組み合わせ、自分の言動を周囲に伝達していけるか。

 この事が念頭にあったと推測します。

 実は僕も小学生時代、スピーチが定期的にあったような記憶があります。

 あれは緊張しますし、その緊張感が「場数」に通じている気もします。
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