塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

神の子の引退発表に伴い

2019-06-21 19:25:36 | 日記
 フェルナンド・トーレスが突然、今季終了後に現役を退くことを発表しました。

 そしてブラジルの地では、未だに「ブラックアウト」の形で中島翔哉がプレイしています。

 トーレスが引退しますと、ミズノはインターナショナルで知名度を持つ選手が一人減少します。

 中島の獲得を目指しているのは、このスペイン代表FWの去就が影響していたのかもしれません。

 引退後もトーレスにアンバサダーの地位をゆだね、スペイン国内での販促活動を目指すことはあると思います。

 ちなみにアシックスが手掛けるオニツカ・タイガーが「ジバンシイ」と共同開発したスニーカーを発表しましたが、ミズノはすでにイタリアの高級車である
 
 「ランボルギーニ」

 とスニーカーや衣類を共同開発しています。

 トーレスは引退すれば鳥栖に留まることはまずないでしょうが、彼の存在価値がイベリア半島だけでなく、イタリアやフランスにまで波及する可能性はなくはないと思います。

 現在コパ・アメリカが開催されているブラジルは、トッパー、ペナルティ、アスレタという地元企業よりも、他国同様にアディダスとナイキのシェアが大きいはずです。

 また。ペレが愛用したプーマも同様の人気があると思いますが、その中でミズノ・モレリアは「日本製」「完成された逸品」ということで、大きな憧れを選手たちに抱かせてきました。

 もしブラックアウトが解けて中島がミズノと正式契約となれば、ブラジル国内でも

 「彼はやはりミズノだったか」

 と報道されるかもしれませんよ。
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千曲市役所にパルセイロポスターが掲示される

2019-06-21 19:05:23 | 日記
 用もないのに千曲市役所を訪れました。

 最初、どこのメーカー建物に掲示してあるかわからなかったので探して歩きましたが、長野パルセイロの千曲市ホームタウン選手のポスターを見るためには立ち寄ったのです。

 トップチームからは新井純平、竹下玲王
 レディースからは五嶋京香と大久保舞

 が格好よく映っています。

 ちなみにポスター印刷は、トップのレギュラー・スポンサーを務めていただいている東御市のミマキ・エンジニアリング様に依頼したようで、ポスターにはその刻印が確認できました。

 ただ、ポスター自体はさほど目立つ場所にはないのも確かで、千曲市は信州ブレイブ・ウォリアーズのホームタウンとしての影響が強いですしね。

 今後はボアルース長野も千曲市で試合を開催する頻度が高まりますし、僕が幼少のころには考えられなかった

 1・スポーツの街としての運営
 2・ハンガリー(卓球)五輪代表がキャンプを張る

 という、大きなトピックスがあります。

 Jクラブも海外クラブと提携を結ぶ事例はありますし、山雅にはシンガポール代表GKであるイズワン・マフフドが練習参加した過去があります。

 (参考資料 完全 アジアフットボール批評第VOL2)

 パルセイロもハンガリー代表の来日を皮切りに、クラブ紹介やホームタウンの案内を千曲市と協力して行ってみてはどうでしょうか。

 「マジック・マジャール」

 といい響きはもはやサッカーにおいて古典ですが、ハンガリーが歴史に名を刻んだ代表を持っていたことは確かです。
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プーマ契約選手がテレビを賑わせる

2019-06-21 00:38:33 | 日記
 堂安律がアクエリアスのCMに登場しました。

 また、「週刊パルセイロ」でも見られたように、お兄さんである堂安優に会いに来たのでしょう、先日の長野パルセイロ対ザスパクサツ群馬戦を観戦したのですね。

 また水曜日のニュース・ゼロには長谷部誠が登場しました。

 プーマ契約選手がテレビを賑わしたわけですが、ゼロの司会を務める有働さんは

 「日本代表に復帰したいとお考えになりませんか」
 「35歳という年齢を、どうお考えですか」

 と、率直に尋ねたいことを尋ねている印象でした。

 ちなみに(これまたプーマ契約選手である)キングが番組内に登場し、長谷部を激励しました。

 米国バスケットボールの世界において、プーマはどちらかと言えば苦い思いをしてきました。

 ファンならば当時トロント・ラプターズに在籍していたヴィンス・カーターとの契約訴訟や、アイザイア・トーマス、ラルフ・サンプソンとの契約が短期に終わる。

 というトピックスを御存じだと思います。

 一方でヒップ・ホップ界の第一人者であるジェイ・Zを最高顧問として迎え、若手有力選手3名と2018年に契約したと聞きました。

 また「スエード」「クライド」という人気スニーカーの起源となった、かつての名選手

 「ウオルト・フレイジャー」

 と就寝契約を結び、再度北米市場でのシェアを取り戻そうとしている気配が伺えます。

 日本では「キング・カズ・コレクション」という独自路線を持っていたプーマですが、キング、長谷部両選手との契約は彼らが引退しても継続していくに違いありません。

 ちなみにジェイ・Zは2000年代初頭はリーボックと密接な関係にあり、彼の本名を商品名にした

 「ショーン・カーター」

 はリーボック最大のヒット作となりました。

 契約選手だけでなく契約アーティストの移籍と言う点も、今後のスポーツ界ではより大きくなってゆくのでしょう。
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様々なスパイクが見られた2000年代

2019-06-21 00:27:36 | 日記
 ワールド・サッカーダイジェスト2000年2月3日号の26、27ページにおいて、大々的にフィラのスパイク「ファッシノ2」が掲載されています。

 2000年代初頭はフィラのスパイクを履く選手は相当多く、彼らのおひざ元であるイタリアでは、代表選手であるルイジ・ディ・ビアージョが愛用していました。

 この2ページにわたる特集では、契約選手である中田英寿も登場し

 1・彼がスパイクに求める希望内容
 2・木型を作成するための採寸内容
 3・日本人スタッフとの確認作業

 など、このファッシノ2のリリース直後、唐突にナイキに切り替える中田の姿はまるで想像できません。

 中田のマネージメント側から

 「フィラとの契約を終了し、ナイキに契約先を変更します」

 と言及された際のフィラ側の驚きも、相当なものだったのではないでしょうか。

 この時期はディアドラの影響も強く、ローマにジャージの提供をしているだけでなく、ロベルト・バッジョ、アルバロ・レコバ、そしてクリスティアン・ヴィエリとインテルの主力たちが契約していました。

 またロットもブラジル代表カフー、ウクライナ代表アンドリュー・シェフチェンコを支援するなど、スパイクの市場は現在のようなナイキ、アディダス一辺倒、というわけではなかったのです。

 NBAもAND1やコンバースの影響力が減少し、アンダーアーマー、リーニンの台頭があったように、サッカー・スパイクにも時流があることは確かです。

 今後は3Ⅾプリンターの導入など、より製造コストを気にするようになるのでしょうが、僕個人は2000年代初頭の

 「選手たちの足元を見る楽しさ」

 が捨てがたいんですよね。
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