塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

本田、今夏の移籍先はどこに

2019-06-05 00:29:14 | 日記
 メルボルン・ビクトリーを退団する本田圭祐。

 彼本人はJリーグは移籍の選択肢にはなく、渡欧するのではないかと言われています。

 実際、新シーズンからセリエAで戦うブレシアが、本田に打診するのではないかという報道がありますよね。

 ブレシアはロベルト・バッジョが最後に在籍したクラブであり、若き日のアンドレア・ピルロも彼と共に戦っていました。

 ピルロのロビングをバッジョが甲でトラップし、対戦相手ユヴェントスのGK、ファン・デルサルを左に交わしてから奪ったゴールは、当時のハイライトとして幾度も流れたものです。

 本田の移籍先はまだわかりません。

 ただ、村井チェアマンを軸にJリーグの関係者は、本田のように

 「かつてJリーグに在籍していたが、復帰の予定がない」

 選手たちに、何故なのか、リーグの実力が上昇しているにもかかわらず、復帰をためらう理由はどこにあるのか、尋ねてみてはどうでしょうか。

 レスターを退団する岡崎も恐らく欧州に留まるに違いありません。

 仮にエスパルスに移籍しても、最下位争いをしている現状では加入してすぐに結果を出すむずかしさがありますし、高校時代を過ごしたヴィッセルも同様です。

 確かに欧州に踏みとどまれば、多種多様な価値観を持つ選手たちと日々接することで、学ぶ点は非常に大きいと思います。

 しかし、現在のJ1も海外から多くの選手が在籍するようになりましたし、チャンピオンズ・リーグでもレッズ、アントラーズが過去2年に渡り優勝しています。

 日本人選手が本場で戦い終えた後、再度Jリーグで戦えるような形になると良いですね。
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僕が勝手に思う、中国の印象

2019-06-05 00:19:38 | 日記
 昨日6月4日は、中国において「天安門事件」が起きてから30年目だったそうです。

 1989年は僕の年齢でいうと13歳で、とても世界情勢を真剣に考える年齢ではありませんでした。

 中国代表、もしくは中国出身の選手がJリーグでプレイした例は、何と1993年ガンバ大阪に在籍したカ・シュウゼン以外に無いらしいのです。

 大阪を軸に日本全国を遠征した際、彼は日本の風景をどのように感じたのでしょうか。

 僕は正直、現在いかなる国でも言論統制はもはや不可能かと思います。

 それはインターネットの発達ではありません。

 中国はバスケット、サッカー、卓球が人気でプロリーグがあります。

 2003年、ヒューストン・ロケッツから全体1巡目1位で指名された、上海シャークスのヤオ・ミンの登場は、物凄く画期的なことでした。

 彼は当初ナイキの愛用者でしたが

 中国市場での販売促進を担う
 ヤオ・ミンと言う選手の持つ能力

 を見込んでリーボックが契約を担うのでしたが、ヤオのキャリアは怪我もありさほど長続きはしませんでした。

 しかし、彼のように言論の自由が認められている国で過ごした選手が、中国に出戻った際の窮屈感は相当ではないでしょうか。

 サッカーでもブラジル代表のレナト・アウグストが北京での生活に満足していると言われていまs。

 プロ・リーグがあることは、諸外国から移籍する選手が多く、そのほとんどがいわゆる「普通」の形でマスメディアと接してきたに違いありません。

 リカルド・グラルが中国籍に国籍を変更し、ナショナルチームに合流するという話もあります。

 諸外国からの訪問客が増えれば増えるほど、中国の規制がむしろマイナスに働く事の方が多いのではないでしょうか。
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