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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

頭の中で思考が回転する際の思い

2014-03-14 02:26:40 | 日記
 客商売というのは日によって従業員の数が異なります。

 昨日は従業員数が足りず、お客様に大変な面倒を賭けてしまうことが多く、この点は丁重にお詫びしなければならないのですが、同時にとにかく頭を使って、今自分が出来る最適の事を行った「つもり」ではあるのですが。

 サッカーでも、自分が今持てる体力、技術を最大限使っても敗れた際、選手たちはどのように感じるのでしょうか?

 僕などは

 「何かもっとうまく出来たのかもしれない」
 「もっとよい塩梅にならなかったのか」

 と自分を責めて、夜寝返りを打つことが多いですね。

 選手も

 「俺は最大限のやれることをやったよ」

 と深い眠りにつくのではなく、頭の中では試合の映像が流れる状況に陥り、明け方近くになっても目が冴えてしまうのではないでしょうか。

 特にワールドカップのように4年に1度という割合で照準を合わせる場合、何かアクシデントがあった時の挽回は、4年後にしか訪れないわけですし、まず自分に4年後があるかが全く分からないものです。

 ですから選手、監督のいずれも

 「予選突破とスカウティング」
 「本大会前の準備とキャンプの内容」

 を重視するわけです。

 チャンピオンズ・リーグや国内リーグはすぐに汚名挽回の機会が巡ってきますが、ワールドカップはそうはいきません。

 ブラジルが1950年の敗北を吹っ切る機会は、64年後の今年になってやっとたどり着いた事を思えば、僕はまだまだ恵まれている、そう言えるのかもしれませんが。
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サッカーを魚に例えてみるならば

2014-03-14 02:08:33 | 日記
 「魚は頭から腐る」

 魚全体をクラブ、頭を監督に身頃を選手として捉えるならば、選手の刷新よりも監督の交代を行った方がベターという見方はできます。

 一方でインテルがインドネシア出身のトヒル氏を招いて財政基盤を再構築するように、経営陣も頭の一部に見るならば、ワールド・サッカーダイジェスト2014年1月16日号に見られる

 「バレンシアがついに身売りへ」

 の言葉が胸に突き刺さります。

 政党政治が与党内でも代表者の顔を変化させるのも、頭がそれぞれ思う政策が異なる事と、その政策が時流に適合しているかが問題になる為です。

 安倍総理が

 「原発を再稼働」

 という発言に対して批判が相次ぐのは、識者も市井もその考えが時流に適合しないと考える為ですが、一方で原発で働く方への職をどのようにまとめるか、という点にまでは波及はしていないのですが。

 監督は試合の前に11名をオーダーし、試合展開に合わせて3名の交代枠を使う、試合ではそれしかできません。

 選手の故障や退場が前もってわかる監督など存在しませんし、第一

 「この選手がカードを貰うという感じが試合前に漂っていた」

 とでも発言すれば、グレン・ホドルではないにせよ、ある種のオカルトになってしまいます。

 試合で勝てば選手の手柄、負ければ選手以上に痛罵されるのが監督ですが、スコアも試合展開も結果論になってしまいますし、メディアが書くことはそうですよね。

 それでも多くの人間が

 「監督をしてみたい」

 と思うわけですが、一度監督になった人物は、きっと

 「やめておけよ」

 とやんわりと諭す気がします。
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