木村拓哉って、どんな役をやっても、キムタクなんだよね。どうやったら、あんな演技ができるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『俳優・木村拓哉の守護霊トーク 「俺が時代を創る理由」』(幸福の科学出版)で、その木村拓哉自身の守護霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。
本当は、ハングリーで、そういうことについて悩むような人のほうが、芸は磨かれていって、うまくなるんだけど、「意外に、歌手でも食っていけるし、バラエティー番組でも生きていけなくもないしねえ」なんて思ってるからさあ。その“開き直り”が、一種の「強さ」になってる。
映画とか、ドラマとかをつくる人は、いちおう、要求してくるよ。彼らには、「演技として、ここまでいかなきゃNGだから、OKやGOは出さない」っていうのがあるけど、俺だったら、何て言うの? バラエティー番組でも、歌手でも生きていけるので、気に食わなければ、(顔を右に振って)プリッとして、「もう、やめちゃった。ほかの人に頼んでよー」と言って、帰っていきそうな感じがするから、そこまで要求できないでいる。
そういうところで妥協させるのが、俺の技なんだけど、そうだと分かっていながら、俺の技を破れないところが、制作側が主導権を握れないわけなんだよなあ。
しかも、そういうふうに、無茶をするところが、また、主役級に見えるところなんだよ。
だから、あんまり、まねはしないほうがいいよ。
(134~136ページ)
気に食わなければ帰っていきそうな感じがするから、制作側は十分に演技を要求できないでいる。
歌手でもバラエティー番組でも生きていけると思っている“開き直り”が、一種の「強さ」になっていて、そこで妥協させる技だと分かっていながら破れない。
そういうふうに無茶をするところが、主役級に見えるところである──。
なるほど、なるほど、です。
どうして、どの役を演じても「キムタク」なのか。
どうして、どのドラマでもどの映画でも、やっぱり主役に見えるのか。
ご本人も十分にそのあたりの理由をわかった上で、いわば確信犯で演技してることが、よく分かるお話です。
たしかに、「あんまり、まねはしないほうがいい」ことを、よくわかった気が私はしているのです。
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『俳優・木村拓哉の守護霊トーク 「俺が時代を創る理由」』
大川隆法著
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