しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

高松城跡の宗治蓮

2023年07月17日 | 令和元年~

場所・岡山県岡山市北区高松・備中高松城跡公園
日時・2023年7月16日

帰省していた長男が東京へ帰るので、妻といっしょに岡山空港へ送っていった。
途中、空港の10kmほど手前にある高松城へ寄った。

 

 

 

目的は宗治蓮を見ること。
満開には少し早いかな?
時間が午後3時なので、早朝に咲く蓮見物には不利。
とか思いながら、
公園駐車場からハス池に向かった。

 

予想通り、
満開には早く、
見物時間は遅かった。
しかし四百年地下に眠っていたという「宗治蓮」は、
見る人に花と戦国の歴史を、じゅうぶん感じさせてくれた。

 

 


高松城水攻め

(Wikipedia)

備中高松城の戦い
天正10年(1582年)に織田信長の命を受けた家臣の羽柴秀吉が毛利氏配下の清水宗治の守備する備中高松城を攻略した戦いである。
秀吉は高松城を水攻めによって包囲したことから、高松城の水攻め(水責め)とも呼ばれる。
この攻城戦の最中に、秀吉の主君である織田信長が明智光秀に討たれた、いわゆる「本能寺の変」が起きた。

 

 

清水宗治辞世の句碑

「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」

 

・・・

 

 

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