しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

昭和初期の農村(和気郡佐伯町)

2018年06月24日 | 昭和元年~10年
第一次世界大戦では、日本に成金者が出た事が知られているが、田舎の生活も大きく変化したようだ。

和気郡「佐伯町史」より転記する。

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生糸の輸出が好調の為、佐伯地方にも養蚕を中心とする農家が増えた。
すなわち、大正3年(1914)から大正8年までに一挙に4倍はね上がった。
水田を桑畑にするもの、畑の多いところは一面桑畑になった。
まゆ生産は年3回もできるという好条件で農村経済を大きくうるおした。

農民の生活も大きく変化した。「からさお」や「干歯こぎ」による原始的な脱穀方法はすたれ、足踏みの脱穀機が普及しはじめ、動力による「モミスリ機」も登場した。
肥料も「過リン酸石灰」をはじめ、化学肥料が使用されはじめた。
衣類も木綿や麻の手織り、手染めが中心であったが、好景気をさかいにして姿を消した。
はき物でもゴム底の地下足袋があらわれ、小学生も藁草履をはずかしがり、ゴム裏や麻裏をねだるようになった。

食料以外の生活必需物資はほとんど買い入れるようになり、自給自足を原則とした農村経済は大きくくずれ、資本主義的生産関係が農村にも深くしんとうしてゆくのであった。
そのため農村の古い民族や習慣がすたれ、若い者は村に伝わる昔話や伝説を知らないようになった。


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