しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「平家物語」一の谷  (兵庫県神戸市)

2024年05月24日 | 旅と文学

「鵯越の逆落とし」は、平家物語を知る以前
小学校にあがる前後ごろから知っていた。
近所の年上の子が話すのを何度も聞いていた。

その後、パッチンや絵本や漫画にも鵯越の勇ましい義経の姿が出てきた。
「鵯越」といえば義経。
「逆落とし」といえば義経。
ついでに言えば当時、「脳天逆落とし」といえば鉄人ルーテーズだった。

平家打倒の若き英雄、源義経を代表するものは
一の谷の”鵯越の逆落とし”、壇ノ浦での”八艘飛び”
少年たちの話題になるのは、この二つの義経だった。

 

旅の場所・兵庫県神戸市中央区下山手通   生田神社 
旅の日・2021年11月4日   
書名・平家物語
原作者・不明
現代訳・「平家物語」 長野常一  現代教養文庫 1969年発行

 

 

義経は武蔵坊弁慶に命じて、この山の案内者を探しに行かせた。
まもなく弁慶はひとりの老人をつれてきた。
聞けばこの山の狩人だという。
義経はさっそく尋ねる。
「狩人なら、この山の道はよく知っているであろうな。」
「細道小道まで存じております。」
「しからば尋ねるが、ここから平家の城、 一の谷へ落とそうと思うが、いかがであろう。」
「めっそうもない。 三十丈(一丈は約三〇三メートル)の谷、十五丈の岩場などという所を、人がたやすく通ることはなりません。
その上、城の内では、落とし穴を掘り、菱などを植えて、待ちかまえておりましょう。 
馬などはとても通ることはできますまい。」
狩人は手を振って、こう答える。

「さて、そこは鹿は通るかな。」
「はい、鹿は通ります。草の深い所を求めて、北の鹿は南へ、南の鹿は北へと通ります。」
このとき義経はにっこり笑い、左右の部下をかえりみて、
「鹿も四つ脚、馬も四つ脚。鹿の通る所を、馬の通れぬはずはない。われらにとっては馬場にひとしいぞ。」


「平家物語」 長野常一  現代教養文庫 1969年発行

 


義経以下の三十騎、「えい、、えい」という掛け声もろとも、一気にこの岩場をすべり落としていった。
おおかた人間わざとは見えず、鬼神のしわざと思われた。


ここに畠山次郎重忠は、他の武者たちが落とすのを横目に見て、ひとり馬から降りた。
そうして馬の手と腹帯をより合わせ、それで大きな馬を十文字にからげて鎧の上に背負い、檻の木の枝を一本抜いて杖に突き、ずしりずしりと岩の間を降りていった。
「いつもはこの馬の世話になっておるのだ。この坂で馬を傷つけてはなるまい。きょうは馬をいたわってやろうぞ。」
そう言って、彼は馬を背負って降りたのだ。
畠山は坂東一の大力とは聞いていたが、あの大きな馬を背負うとは、なんというすごいばか力であろう。
東国の荒武者たちもこれを見ては、舌を巻いて驚いた。

 

 

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