しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

グライダーが燃やされる話

2015年12月12日 | 昭和20年(戦後)
太平洋戦争の開始前後、旧制中学校に突然のようにグライダー部が流行ったのは、国家の強い後押しであり、飛行機乗り要員の育成であった。
国家(軍)の思惑通り多くの予科練生を生み出した。
その事は当時の学校の名誉であったろうが、敗戦の後は学校史には一行も、ひとことも記載されていない。

ただ、機が燃え上がる様だけが書かれている。


「興譲館120年史・グライダー物語」より転記

昭和16年、太平洋戦争が勃発するや全国の学校にグライダー訓練が始まった。
本校もまずグライダー指導者を決め、グライダーを注文した。
募金募集にとりかかり、漸くプライマリー三機を購入して大正橋の下手を滑空場として毎日猛訓練が始まった。
中級機・セカンダリー一機を購入して漸く飛行機らしい感じのものとなり、なかり高いところが飛べるようになった。
更にもう一機セカンダリーを購入したところで終戦を迎えることとなった。
10月頃だったか井原市高屋町に進駐軍約30名が駐屯する事になり、その命令で彼らの目の前で全機5機を大正橋の処で焼かされ、グライダーは残骸を残すのみとなった。

コメント
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