日本食物史・吉川弘文館より転記
15年戦争と食生活
食糧確保と食事の工夫
不足する食料を確保するには、自給自足、買出し、これまで食べなかったものの食用化の三つがある。
南瓜やさつま芋の栽培が奨励されると同時に、ドングリやイナゴの食用化がすすめられた。
代用食品採取のため「よい子のみんさんへ」というポスターには、
「とち、かし、ならクヌギは乾パンやあめやパンになります。うんと拾って沢山食べましょう。農林省」という文言がある。
副食は、平時は廃棄していた部分を食用化した。
蓮の葉、南瓜の茎や葉、大根の葉、人参の葉、フキの葉、カブの葉、里芋の茎、キャベツの芯、蓮根の皮、大和芋の皮、ほうれん草の根、みつ場の根、南瓜の種、甘藷のつる、しいの種子、桜の種子、桑の種子、魚の骨、茶がら、ぬか、ふすま、豆粕などである。
食べていなかったものの食用化の例としては、
各種の野草、いなご、はちのこ、さなぎ、かえる、へび、すずめ、どんぐり粉、柿の皮の粉などがあげられる。
それらの食品は地方では常食であったものが多い。
昭和33年、米軍向けだった西洋野菜のレタス、セロリ、カリフラワーなどが普及した。
同年フレンチドレッシングも発売された。サラダが食卓にのぼるようになった。
昭和38年、砂糖が輸入自由化。サッカリン、ズルチンから脱却できた。
コカコーラの輸入自由化は昭和36年である。
15年戦争と食生活
食糧確保と食事の工夫
不足する食料を確保するには、自給自足、買出し、これまで食べなかったものの食用化の三つがある。
南瓜やさつま芋の栽培が奨励されると同時に、ドングリやイナゴの食用化がすすめられた。
代用食品採取のため「よい子のみんさんへ」というポスターには、
「とち、かし、ならクヌギは乾パンやあめやパンになります。うんと拾って沢山食べましょう。農林省」という文言がある。
副食は、平時は廃棄していた部分を食用化した。
蓮の葉、南瓜の茎や葉、大根の葉、人参の葉、フキの葉、カブの葉、里芋の茎、キャベツの芯、蓮根の皮、大和芋の皮、ほうれん草の根、みつ場の根、南瓜の種、甘藷のつる、しいの種子、桜の種子、桑の種子、魚の骨、茶がら、ぬか、ふすま、豆粕などである。
食べていなかったものの食用化の例としては、
各種の野草、いなご、はちのこ、さなぎ、かえる、へび、すずめ、どんぐり粉、柿の皮の粉などがあげられる。
それらの食品は地方では常食であったものが多い。
昭和33年、米軍向けだった西洋野菜のレタス、セロリ、カリフラワーなどが普及した。
同年フレンチドレッシングも発売された。サラダが食卓にのぼるようになった。
昭和38年、砂糖が輸入自由化。サッカリン、ズルチンから脱却できた。
コカコーラの輸入自由化は昭和36年である。