【父の野戦日記】
雨天の中、光山城に入城した。
信陽攻略の要所だ。
空爆の跡を見る。高層な健築物は無く、ただ外部の一部一部を残すのみ。
その他は整然として聳える○○堂、そして繁華街は昔をしのばせるおもかげは語っているようだ。
あちらこちらの家陰、木陰に、支邦軍部隊の死体がわれ等の目にはいる。
我等は降りつつ雨の中気合をいれつつ、戦闘の戦果を納めつつ意気洋々と入城したのだった。
思えば徐州出発以来、いかなる雨天に悩まされつつ、悪天候と戦いつつ、あの日この日も休み無く。
血の攻撃、実戦悪夢。
敵の攻撃、悪戦苦闘で、今ようやく、光山城へ入城するのだ。
その雨につけ、照るにつけ、思うのは故郷のことだ。
朋は、姉妹は如何に。
だがそのような実に恥かしい。
ただ戦闘の束の間にちらつくホンの一瞬だ。
今は光山に入城する。後6日で我が氏神様の祭典だ。
ありがたき神様のご加護により生き長らえていることを誓って今日を休む。
昭和13年9月25日(光山城内にて)
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「歩兵第十聯隊史」 歩兵第十聯隊史刊行会 山陽新聞社 昭和49年発行
漢口作戦に於ける第十師団の緒戦は、広州攻撃といえよう。
歩兵十聯隊第一大隊がこの戦で名を挙げた。
9月7日固始を占領し、14日光州に進出した。
9月18日敵は広州城から逃げた。
一方、第二大隊は光山攻撃に当り、19日光州出発、
およそ10キロほど前進した地点で敵と衝突。
彼我の距離80mくらいに近接することもあり、敵は光山に近い高地に拠ってから抵抗いよいよ激しく追撃砲弾の数も増した。
翌20日7時30分攻撃を再興、11時15分光山城を占領した。
すでに敵は敗走していたのである。
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「岡山県郷土部隊史」 岡山県郷土部隊史刊行会 山陽印刷 昭和41年発行
漢口攻略戦・その二 光州への攻撃
9月15日毛利部隊の来栖大隊(第一大隊)が先頭となって前進する。
戦闘が開始されると行軍に疲れた兵も緊張して、落伍者は一人もいない。
光州城を見下ろす位置に立つ。
光州城へは後2キロばかり。
9月17日午後クリークを境にして光州大城壁とにらみ合った。
同時夕刻来栖大隊長は攻撃を命じ、城門に突入。これを占領した。
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