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柳家小三治 逝く…

2021年10月12日 | 落語・講談・漫才


落語家で人間国宝の柳家小三治(やなぎや・こさんじ)さん
(本名・郡山剛藏=こおりやま・たけぞう)が
10月7日午後8時、心不全のため都内の自宅で死去した。
81歳だった。
1939年(昭14)12月17日、東京都生まれ。
59年に柳家小さんに入門し、前座名「小たけ」。
63年に二つ目に昇進して「さん治」に改名。
69年の真打ち昇進後、10代目「柳家小三治」襲名。
04年芸術選奨文部科学大臣賞、
05年紫綬褒章を受章。
落語協会会長も務めた。
14年に5代目柳家小さんさん、桂米朝さんについで
3人目となる重要無形文化財保持者(人間国宝)に選ばれた。

ひょうひょうとした表情、一見ぶっきらぼうにも思えるしゃべり口が味わい深かった小三治さん。現代最高峰の名人が静かに高座人生に幕を引いた。
 所属事務所代表の倉田美紀さん(42)によると、亡くなった7日も都内の自宅で普段通りに弟子と朝ご飯を食べ、午前中は歯科医院に通院。夕方に風呂に入り、変わった様子もなく過ごしていた。だが、午後7時半ごろに妻の和世さんが2階にある小三治さんの自室に行くと、床に倒れているのを発見。既に息をしていない状態だった。連絡を受けた次女が119番通報し、搬送先の病院で死亡が確認された。倉田さんは「凄く穏やかな表情で、幸せそうな顔に見えました」と語った。

 6日も5、6人の弟子を自宅に招き、雑談するなどして過ごした。それだけに家族や弟子のショックは大きい様子。亡くなる当日まで次の高座を楽しみにしていたといい、来年まで高座の予定も決まっていた。最後の高座は今月2日、東京・府中の森芸術劇場での「猫の皿」だった。

 今年3月に「最近疲れやすいし、食欲が落ちた」と訴えて病院で検査。持病のリウマチと糖尿病に関する数値が悪化していたため、3週間ほど入院した。5月に復帰すると、コロナ禍の中でも独演会や一門会を精力的に開催。「私に頂ける拍手を今日は医療従事者のために送ってください」と訴えるなど、連帯を呼び掛けていた。

テレビ出演はほとんどせず、活動の中心は独演会や寄席。チケットの取れない落語家の一人として知られた。
柳家のお家芸である滑稽噺の継承者として活躍、導入部の長いまくらでも人気を集めた。



なんだか…
サラリと逝ってしまうのが、
小三治らしいな…ぁ。
そう思いながらも…
グオォオオオ!!!
悲しいぃいいい!!!

今年の3月に、NHKの番組
ザ・ヒューマン スペシャル
「止まらない男 柳家小三治 」
で無茶苦茶久しぶりに
小三治の顔を観たんだよ。
健康体ではないのに、
落語への執念というか…。
愛に溢れていて、
ウル…ときたんだ…ぁ。
私服姿がダンディーだったわぁ。

テレビには出ていない噺家だから、
落語ファン以外の人には
馴染みがないのだろうけれど、
実力、人気共に神!!
チケットが取れなさ過ぎて、
いつしか争奪戦に参戦することも
なくなってしまい…。
2015年に国立演芸場で聴いたのが
最後だっ。
残念ながらレポを残していないぃ。

本編も凄いけど、
マクラも楽しみだった。
あの何とも言えない“間“というか、
“沈黙”も好きだった。
客席も、続きが始まるのを
気長に待っていて、
シ~ンとしてるんだよね。
嗚呼…
脳内に蘇る小三治の声…。
いぶし銀な姿…。

心よりご冥福をお祈りいたします。

前進座劇場で柳家小三治 (2005.12.20記)
国立名人会 柳家小三治 (2007.11.11記)
桂米團治襲名披露 (2008.10.30記)