井上ひさし氏の講演を新書にした本である。かなり軽い内容で、話し言葉なので分量も多くないが、なかなか面白い内容であった。
とくに意外だったのは、母語として日本語を話す人は、無意識のうちに、漢語とやまとことばとを使い分けているというところだ。
実際に学生に、一から十まで数を数えさせた上で、それを今度は逆に言わせてみる。そうすると、上っていくときに七は「シチ」と数えたのに、下がるときは「ナナ」と無意識に言ったのだ。四も同じようなことが起こる。ためしに自分で数えてみても同じだった。
さらに井上氏は、芝居の台詞もやまとことばにしないといけないといい、漢語だと観客の理解が一瞬遅れるという。そういわれると確かにそうかも知れない。言葉は確かに話し言葉から習得するのだから、日常で最も基本に話している言葉がやまとことばであるのであれば、その通りであろう。
言葉というものが、人間にとってどういうものか、少し考えさせてくれる本である。また言葉だけでなく、少し物事の見方的な見解も示したりしているが、池田晶子ファンとしてはそれほど違和感は感じなかった。
とくに意外だったのは、母語として日本語を話す人は、無意識のうちに、漢語とやまとことばとを使い分けているというところだ。
実際に学生に、一から十まで数を数えさせた上で、それを今度は逆に言わせてみる。そうすると、上っていくときに七は「シチ」と数えたのに、下がるときは「ナナ」と無意識に言ったのだ。四も同じようなことが起こる。ためしに自分で数えてみても同じだった。
さらに井上氏は、芝居の台詞もやまとことばにしないといけないといい、漢語だと観客の理解が一瞬遅れるという。そういわれると確かにそうかも知れない。言葉は確かに話し言葉から習得するのだから、日常で最も基本に話している言葉がやまとことばであるのであれば、その通りであろう。
言葉というものが、人間にとってどういうものか、少し考えさせてくれる本である。また言葉だけでなく、少し物事の見方的な見解も示したりしているが、池田晶子ファンとしてはそれほど違和感は感じなかった。