哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

いじめの憂鬱(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-11-19 23:58:40 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「いじめの憂鬱」という題でした。いじめられた子が抗議の自殺をしても、いじめた子に果たして罰を負わせることができているだろうか、と疑問を述べておられます。




「人間には命より大事なものがあるということを理解しない社会が、生きた者勝ちのまさにこの社会である。抗議の自殺が成立しない。無視されるか笑われるだけである。

 自殺が無効と知った子は、それならどうするだろう。ひょっとしたら、後ろから刺すとか、毒を盛るとか、受けたいじめを上回る卑怯な手段で報復に出るかもしれない。」





 いじめられた子が自殺をしても意味がないことを知ったら報復として殺す側にまわる、なんてことはあまりちょっと考えにくいですが、池田さんの言いたいのは、命より大事なものがあるということを理解しない社会が、それゆえ命の奪い合いで勝負を決するというおぞましい社会になるしかない、という結末でしょうか。




 そもそも、人を殺すことが悪いことか、という問いから昨今の哲学ブームが始まったように思います。

 それに対する池田さんの答えは、池田さんの機嫌が悪ければ「自分で考えよ」と突き放され、機嫌が良ければ「問うからには、既に答えがある」と仰ったでしょう。



 最近あるテレビ番組を見ていたら、金もうけは悪いことですか、と有名人に聞いて回っていました。

 山田洋次監督は寅さんならどう答えるかと想定して、寅さんの機嫌が悪ければいきなり殴られるだろうが、機嫌が良ければ「それを言っちゃあ、おしめえよ!」と言って肩を叩くだろうと答えていました。



 やはり、答えがあるからこそ問うているのは同じなのでしょう。