屋根の草(こんな時の言いたい放題その1)

玄関で、お線香点けの玄関番をしながら掲示板用のいいたい放題を書き溜めした。

その中に
「生きる場所 そこにも あるのか 屋根の草」
がある。



この言葉は、かつて、私が密蔵院というお寺や、家族に縛られていると思って苦しかった時に、そこの心境から脱出する役目を果たしてくれた言葉だ。

当時、私は鎖につながれているようなものだと思ったのだが、私は、寺や家族という場所に根を生やそうとしているのだと気づいたのだ。以来、今いる場所で(それがどこであっても)、ドッカと腰を据える覚悟ができたと思う。

この言葉が、避難している方々へのエールの言葉にはならないのは承知している。仮の宿では根の生やしようもないだろう。

しかし、覚えておくと、いざという時に、心の支えになるのではないかと思う。

ここしばらくは、そんな言葉の数々をご紹介したいと思う。

さて、昨日お参りに来た幼稚園の子供。私がお線香を点けようと、コンロに火を点火するとこう言った。
「それ(お線香)、燃やすの?」
「燃やす?いや、これは燃やすというんじゃないんだなぁ・・・」言葉に窮した。
「えーとね、お線香を焦がす・・じゃない。そう言えば、なんだろうね・・・」
 火を灯(とも)すわけではないから、「お線香に火を点ける」も変な気がするが、炭に火をつけるとは言うしなぁ・・・。

 あはははは。幼稚園の子から、大変良い刺激をもらったと思う。
 
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手向(たむ)け

気がつけば、お彼岸の三日が終わろうとしている。

地元の檀家さんはいつも通りに歩いて、あるいは自転車でお参りにいらっしゃる。
しかし、ご親戚の方々のお参りは、いつもよりずっと少ない。おそらく四分の一くらいだろう。

玄関でお線香をお点けながらの話は、すべて地震関連だ。

そんな話をしながら、被災地のお墓やお寺事情に想いを馳せた。

お参りどころではないだろう。地方のこととて、お彼岸のお参りは欠かさずに続けてきた方々が、避難所や、集団で避難。あるいはお墓が全部流されているところも数多い。

そんな方々に代わるかどうかわからぬが、拙いながらも、密蔵院の本堂で香を手向けている。

とはいえ、全力でお彼岸モードかと言えばそもういかぬ。
彼岸前日になって、さわやかな般若心経の第三章の「仏教質問」コーナーの項目が送られてきたからだ。22日までにお願いしますとのこと。彼岸注の五日間しかない。
うはっ!である。
であるが、この時期だからこそ、復興が軌道に乗り始めた時に読んでいただくのに、もってこいの本にしたいという思いが強くてなって、資料などを確認しながら、二日間で書き上げた。



パソコンの前でカチャカチャやっいる所に、家内がお茶を持ってきてくれて、私の書いている原稿をチラリと読む。
「あなた、もう書けない、もう書けないと言っているのに、よくそうやって次々に書くことがでてくるわね」と感心している。
自分でも不思議だが、思いが先にあると、足りない頭でもどうにか、ナニモノかを紡ぎだしてくれるもので、これはこういう作業をしている人にしかわからぬ感覚だろうと思う。

明日の東京は雨の予想。本堂でお香を手向けながら、彼岸中日を過ごしたいと思う。
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時計仕掛けの今、あなた。

 すべてのものは常に変化し続けていくというのが、諸行無常(しょぎょうむじょう)という大原則。
 この法則から逃れることは、何人も、何物もできない。変わらぬものはないのだ。

 世の中のさまざまな物や人や、時間は、ほとんど勝手な変化の仕方をしていく。まるで、たくさんの歯車が好き勝手な動きをしているようなものである。

 俺の都合に合わせて動いてくれと言っても無理だ。

 ところが、この歯車が、ガッチリかみ合ってしまうことがある。あり得ないような確率なのだが、それが合致してしまうのだ。

 地殻変動・人の営み・住んでいる場所・時間などが見事な組み合わせでそろってしまうのだ。

 普通のことなら、それを有ること難いと感じて「ありがたい」と感謝するのだが、今回は感謝はできぬ「有り難さ」だ。

 しかし、この時代のこの日に、日本に生きているという巡り合わせに、私たちは立ち会っている。

 無数の歯車が合致した、その一つの歯車があなたであり私だ。

 何かやるなら、今が その時だと思う。
 何かするなら、あなたが その人だと思う。



 時計仕掛けの歯車の一部とって、時計の針を復興の方向に進めていきたいと思う。

 
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テンネンと炊飯器

 昨日は一番下の娘の卒業式だった。
 通学に利用する小田急線の運行が心配だったので、娘は一昨日の夜に出かけて友達のところで一泊した。
「こんな時に、着物に袴の晴れ着姿じゃ、なんだか申し訳ないよ」と言っていた。
 偉いとは思ったが、被災地の人なら尚更「そういう時は晴れ着をきなさい」と逆に励ましてくれるだろうと思ったので、「いいさ。堂々と着ておいで」と言った。

 レンタル衣装の娘の晴れ姿を一目見ようと、家内も昨日のお昼におでかけ姿で出かけた。
「お彼岸前日なのに、出かけていいかしら」と言っていた。
 たいしたものだと思ったが、「あなたが許してくれなかったから、最後の卒業式に出られなかった」と後々まで言われたのではかなわないと思ったので、「行っておいでよ」と言った。

 夕方家内からメールが入った。
「これから新宿を出て帰ります」
 おりしも、テレビで、このまま電気をつかい続けたら予測不可能な大停電になると緊急放送してたので、あわててメールを返した。
「予測不可能ナ大停電がオキルカモシレナイカラ、早ク帰ッテオイデ」
「電車モ止マルノ?」
「大停電ダカラ、止マルサ」
「何時ゴロ停電スルノ。」
「ソレガ ワカラナイカラ 節電シナサイッテ ニュース ガ ナガレテ イルンダヨ」

 しばらく返信がなかった。何か考えていたらしい。
 が、5分ほどしてメールが入った。
「停電シタラ大変ダカラ、ゴ飯ヲ四合焚イテオイテ」
「ダカラ、ミンナ ガ ソレヲ スルカラ大停電ニ ナルンダッテバ。アハハハハ。デモ ヤッテ ミルヨ」
 と返信した。それから家内からはメールはなかった。

 お米を研いで、炊飯器のスイッチを入れる時、手が一瞬止まった。
 私が炊飯器のスイッチを入れたとたんに大停電になったら大変申し訳ないと思った。

 「四合焚イテオイテ」という不思議なメールの意図は家内に聞いていない。
 自分勝手に、母親というのはこうも家族のことを心配しているのだなと、あらためて思う。その点、私はぜんぜん駄目である。
 
 被災地のお母さんたちの心配は如何ばかりだろう。テキパキとやることをこなしていく人たちの横で、我が家の家内くらいテンネンぶりを発揮してくれると、笑顔が増えるかもしれぬ。
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うらやみ

副住職と二人で、本堂で30分拝みました。
きっと、震災の起こった日が金曜日ですから、明日の方がたくさんの方々が祈りを捧げることでしょう。

でも、やはり日本人には、その日から数えて七日目のほうが意味があるような気がします。

お昼に千葉県佐倉市に住む義理の妹から電話。義父は元気。義母は不安解消行動にさらされているようです。ぐははは。そこを我慢しないとね。あとで「私の買い物のために、被災地の人たちへの物資の運搬が遅れたのかも・・・」と後悔するのは目に見えてるものね。

東京で買い物をする⇒品物が無くなる⇒お店は仕入れをする⇒トラックが使われる⇒ガソリンも車両も都内で動き回る⇒被災地へ車両も物資もいかない

義妹はスーパーで働いている。やはり品物が極端に少なくなっていると言う。
「お客さんの中には、これみよがしに[あんたのトコ、儲かるわね]って言うお客さんがいるのよ」

申し訳ないが、鼻で笑った。もちろん、妹を笑ったのではない。[儲かるわね]と、思っていることをそのまま店の従業員に言う彼(か)の人を鼻で笑ったのである。懲りない私たちの「羨(うらや)む」という人間性を笑ったのである。つまり、私自身を鼻で笑ったのである。

ツマラヌことを考えて、それをそのまま表に出して口にする。口に出す以前の、心の裏が病んでいるから「うらやむ(裏病む)」と言うのだろうかと、ふと思った。
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14時46分

地震発声から、今日で七日。初七日でもある。
再生に向けてで言えば、赤ちゃんのお七夜にあたる。さあ、がんばれ!という初日である。

そこで、お坊さんたちの中で、「追悼と、生への祈り」を込めて、地震発生時刻に、一分間の黙祷をしたあと、それぞれのやり方で法要をしようということになった。全国規模である。

坊さんがまずできることは、祈りであろうと思う。わははは、そりゃそうだ、得意分野である。

真心をこめて、密蔵院でも同時刻に拝もうと思う。
お近くの方は、どうぞ、ご来寺ください。
節電のため、暖房を入れないつりですので、暖かな格好でどうぞ。


もちろん坊さんだけではなく、その時刻にご自宅でも、黙祷ができたらいいですね。
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詩が生まれる時

 ラジオを聞きながら、住職室の掃除をした。

 千葉での余震に息子二人とオヤジ一人で、緊張した面持ちですごす昼間。

 この一週間、東日本は、まるで命懸けのアトラクションにのっているようなものだと思う。

 避難所にいる方々は、お寺にいる三人の男などより、ずっとずっと過酷な条件下、プライベートな空間もなく緊張しっぱなしだろう。私たちなぞは、気楽なものである。

 皆さんからのコメントにレスしていてあらためて気づくのは、心の強靱さではなく、しなやかさだと思ったので、NHKのテレビを見ながら、夕方本を読んだ。

 宇野信夫著「芸の世界 百章」(昭和48年発行)である。筆者は歌舞伎などの脚本家で、すでに故人である。雑誌か新聞に書いたエッセイをまとめた本だ。

 この中で、髪の毛が薄くなってきた人を
「彼の頭はもう毛髪にみはなされていて居ます」
と書いている。わはははは。うまい表現だと思う。

 ついでにもうちょっと。
 筆者がたくさん聞いた講談のセリフの中で、記憶に残る名描写があるそうだ。

 「一例をあげると、田舎の親分が子分にむかって、「今、なん刻(どき)だろう」ときくと、子分が「さァ、あの柿の木にあたる日ざしの按配じゃァ、なつ七ツ刻でもございましょうか」と答えます。これなどは、この短い対話(やりとり)で、その場の情景が眼に浮かびます。
  博打打が勝負に勝って、一杯ひっかけて上機嫌で帰るところを、
 「口の中で、楊枝をでんぐり返しをさせながら、ブラブラやって参ります」これも、その人物の動きが眼に見えます。
 「あいつはヤタ一(飲み屋)で片足あげておりましょう」という言葉も、覚えています。この「片足あげて」という言葉で、安い飲み屋で一杯やっている様子がよくわかるのです。」
 
 読んでいて思わず笑った。そして、テレビ画面に眼を移した。瓦礫の野原と化した街と山と海が映っていた。
 被災した人たち、避難所にいる人たちは、一週間前まで自分が住んでいたこの変わり果てた景色を見て、いったい何を思い、どう描写するのだろうと思った。

 もはや普通の文章で表すことはできまい。詩でしか表現できないだろう。
 たくさんの悲しい詩がうまれ、多くの希望の詩も生まれているだろうと、身勝手に思った。
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脅威と驚異

報道番組で津波の圧倒的な力について、現地入りしているレポーターや、被災者の方のコメントが聞かれるようになりました。

自然の脅威という言葉は、あらためて言われるまでもなく、一人の人間などチッポケな存在だと悲観しちゃいけません。

自然の脅威は、イコール自然の驚異でもあります。

あれだけの力を持つ地殻変動や津波ですが、それと同等の力が私たち一人一人の中に宿っています。大地から新しい芽を伸ばす力と同様の力が私たちの中にあるんです。



瓦礫を掃除できる力も、その瓦礫を撤去する重機を作り出す力も、救急車を作り出す力も、買い占めする力もふくめて、とうてい生半可な自然の力の及ぶところではありますまい。

被災者の方々が強く生きていく力、援助する力、考える力、行動する力・・・。

自然の脅威と、一人一人の人間の驚異の力と、八百長なし、行司もいない、同じ土俵で、ガップリヨツの取り組みです。
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ウェイティングサークル

 被災の現場に、ようやく報道が続々と入って、被災者の方々の声が聞こえてきました。命懸けの取材です。

 それをどう勘違いしているのでしょう。避難の模様や、行方不明の家族を心配する声ばかりを放映している姿勢は、どうにも納得がいきません。
 彼らが命懸けで取材している被災者の人たちの「要望」とそれに応える「手段」について、もっとまともな編集をして流してもらえないだろうかと思います。

 知り合いの何人かが、そんな報道に満足できずに一般道から現地入りして、自分の目で、中からの目で「何が必要なのか」を発信しようとしています。
 素人が動くことは、かえって救援の迷惑だとの異論はありますが、その行動力に触発される人は多いでしょう。その触発が次の動きとなるのだろうと思います。

 同じ人間として、日本人とて何もできないもどかしさを感じている人は多いようです。
 しかし、まだこれからなのです。ここ一週間くらいで多くの実体が把握されてくるでしょう。
 その時のために、じっとしていることはとても大切だと思います。
 それは手をこまねいているのとは違います。
 次のパッターボックスに立つまでの、ウェイティングサークルに待機しているようなものだと、私は思うのです。



 私もできれば、100円ショップへ行って、電池や靴下や食料を被災地に送るために大量に買いたいところですが、我慢しています。
 東京では、スーパーやコンビニ、ガソリンスタンドが大変なことになっていますが、私は今家にあるもので、しのげるだけしのごうと思っています・・・その時のために。
 
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「こういう時だからこそ」の励ましをいただいて

 節電のためにブログを休みますと書いたら、
「そんなことを言わずに、こういう時だからこそ、芳彦さん、書きなさい」と励ましのメールをいただきました。

 テレビで新しいニュースと映像を探し、被災地の仲間の安否を気にしながら過ごすよりも、そりゃそうだ、もうちったぁ、生産的なことをしないとなと、パソコンの電源をいれましてございます。

 娘が九州の卒業旅行から帰ってきて、一緒に行った友人の実家が宮城、東松島市。弟とお母さんとまだ連絡が取れない。一人でアパートに帰っても、寂しいだろうからつれて帰っておいでと言った。

 聞くと、お兄さんは岩手県のテレビ局の社員だそうだ。
 昨日、テレビ局の社員に「携帯電話の充電器提出」の指令が出たそうである。
 どうするのだ?と思ったら、こうである。

 被災地に向う取材班に、それを持たせる。
 被災地に電気が通った時のことを考えて、それを被災者に届けるというのである。
 逃げた人たちは、携帯電話は持って出たことだろう。しかし、充電器までは・・・。

 世の中の人の声(音)を観るという、観世音菩薩は、岩手にもいるのだなと思った。

 募金はあたり前だが、密蔵院でも、一家に二つ以上充電器があったら、それを集めて被災地の仲間のお寺に送る運動を今月一杯しようと思う。

 密蔵院にお届けいただくなくても結構である。これをお読みいただいた方が、自分の仲間うちで被災地の知り合いに届けることをお勧めする。

ほかにもできることはあるだろうが、今日はまずそれをやろうと決めた。
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