私はどっち側?

 今日は、宗派の研修会。家族観の変化に伴って、僧侶はどうすべきか・・・。

 基調講演は、桜井よし子さん。さすが良く勉強されていて、分かりやすい解説だった。
 その後はパネルディスカッション。私の所属している研究所の仲間が一人パネラーとして登壇したので、こりゃ義理でもいかねばならぬ。

 地域の崩壊、核家族化・・・そんなキーワードがゾロゾロ出てくる。

 私は次男だが、しょっちゅう実家に行っている。ご詠歌を教えているからだ。ほかにも、最低年に四回は実家に私の家族と、姉の家族が集合して食事をする。けっこう家制度が保たれているほうだと思う。
 兄夫婦は新屋である私と姉のことを気遣いし、面倒をみてくれる。実家へ行けば、これでもかというほどご馳走をしてくれる。私も姉も本家を立てる。それが跡取りたる本家と新屋や嫁いだ者の、当たり前の関係だと思う。

 しかし、知り合いの中には、親と別居している長男夫婦がたくさんいる。

 親も「そのほうが気が楽だ」といい、子供も「気兼ねしなくて助かる」と言う。
 親は「お前たちはお前たちで自由にやれ」と言い、子供たちは「ありがとう。そうさせてもらいます」と言う。
 子供たちは自由にやっているから、親がつきあっているお寺のことにはほとんど無頓着である。先祖のことも、親任せである。爺さん婆さんは、孫をつれて墓参りをすることもない...そんな家がゴマンとある。

---子供たちは自身で、「自分たちこそが、日本の家族の良さをぶち壊しているうちの一人なのだ」という認識はあるのだろうか。自分のことはそっちのけにして、無責任に「最近は人情が薄くなった」と愚痴を言ってやしないだろうか。自分はいったいどっち側なのかを、確認する時期に、日本人は、来ている。

「こんなことをしていては、自分たちも子供に見放されるような老後を送ることになる」という覚悟はあるだろう。覚悟はしていても、それで果たしていいのかと言いたくなる。

 家庭はかんがらがった糸だ。こんがらがっているからいい。ほどけばバラバラになる。
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