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平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 





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3月2日は奈良東大寺のお水とりで
使われる水を、若狭の神宮寺から
東大寺の二月堂まで送る神事の日です。

若狭から10日間かけて二月堂に
届くと言われています。

奈良時代(752年)若狭の神宮寺から
奈良・東大寺にいかれた実忠(じっちゅう)和尚が
二月堂を創建し修二会を始められました。

その修二会に全国の神々を招かれましたが、
若狭の遠敷(おにゅう)明神だけが漁が忙しく
遅れてしまいました。

そのおわびにと、遠敷明神が「本尊に供える水を
若狭から送る」と申し出て岩の前で祈願すると
たちまち岩が真っ二つに割れ

二月堂の地中から白黒二羽の鵜が
飛び出し、水が湧き出しました。
(ここを若狭井といいます)

小浜の鵜の瀬で放たれた鵜が二月堂まで
もぐっていったと伝えられています。 この伝説から

毎年3月2日、小浜の遠敷明神を祀った神宮寺で
お水送りの神事は行われます。

お堂で修二会を営んだ後、大護摩に火がつけられ、
その火を松明に移し、山伏を先頭に神宮寺から
鵜の瀬まで1.8Kmを松明の行列が進みます。
(午後7時過)

火をつけた松明は一般の参加者も持つことができます。

鵜の瀬でも大護摩がたかれ、住職が送水文を
読み上げ、香水(仏前に供える水)を竹筒から
遠敷川へ注ぎます。
修二会
”十一面観音”にあらゆる罪の許しをこい。
天下泰平・五穀豊穣・平和を願って祈り、
人々に代わって板に身を叩きつける「五体投地」や、
堂内を松明が巡る「達陀だつたん」や
全国の神を呼び寄せる「神名帖じんめいちょう」の
読み上げ等の行があります。


鵜の瀬 小浜市下根来遠敷川  
神宮寺 小浜市神宮寺 
どちらもJR小浜より車で20分

小浜は海のある奈良とも称され
約130の神社仏閣が点在し
国宝・重文の仏閣・仏像も数多くあります。

JR小浜駅より
4月~11月下旬頃まで
若狭おばま国宝めぐりバスがあります。


地図は小浜観光協会よりお借りしたものに
一部文字入れさせていただきました。




太郎坊さんの名で親しまれている阿賀神社(太郎坊の宮)は、
巨石が露出した標高350mの赤神山(あかがみやま)の中腹にあります。
最澄が京都の鞍馬山に住む次郎坊天狗の兄、
太郎坊天狗の力を借りて
開基したという伝説をもつ社です。


「太郎坊宮前」駅からまっすぐにのびた桜並木の参道を進むと、
左手に三角形の美しい赤神山が見えます。
  
740段余の長い石段を登っていくと、
古代信仰の名残りをとどめた本殿にたどり着きます。
周囲には、磐座(いわくら)と呼ばれる巨岩が沢山あり、
神秘的な雰囲気をただよわせています。
山岳信仰から修験者(山伏)の行場ともなったという。

 太郎坊宮にお祀りする神様は勝運の神としても知られる
正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神で
(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノオオカミ)
伊勢神宮の天照大神の第一皇子神にあたります。
その守護神は太郎坊天狗とされています。
 神様のお名前には「まさに勝った、私は勝った。朝日が昇るかのように
鮮やかに、速やかに勝利を得た」という意味があり、
勝利と幸福を授ける神として知られています。

本殿前の巨石、高さ10数mの夫婦岩は、「近江の高天原」ともよばれ、
祭神の神力によって左右に開いたといわれ、巨岩信仰の中心となる岩です。
悪心のある者や嘘つきな人はこの岩に挟まれてしまうといいます。

本殿前の展望台からは、四季折々に移り変わる
蒲生野ののどかな景色が楽しめます。

「当神社が創始されたのは、約1400年前にさかのぼる。
聖徳太子が当地箕作山に瓦屋寺を建立された時、 当社の霊験が顕著である
ことを聞かれ、 国家の安泰と万人の幸福を祈念されたと云われている。
その後、最澄も参籠し、そのご神徳に感銘し、50余の坊を建立して
当社を守護させられた。太郎坊というのは神社を守護している
天狗の名前である。」(阿賀神社由緒書より)


山より浸透して出る水は、龍神舎の竜の口からでて、
古来より霊験あらたかと伝えられ、美味しく体に良いと言われています。

『アクセス』
「阿賀神社」滋賀県東近江市小脇町2247
 4月第1日曜日 神輿渡御 12月第1日曜日お火焚大祭 
近江鉄道八日市線 太郎坊宮前駅下車 徒歩約15分 


地図は近江鉄道HPよりお借りして縮小、一部文字入れしました。
『参考資料』
「滋賀県の歴史散歩(下)」山川出版社



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crystalさんは中国・無錫に住むとてもチャーミングなヤングミセスです。
ご主人の転勤に伴って、昨年1月に来日
10月まで隣町に住んでいました。

彼女からは上手な日本語 私からは下手な中国語で
メールのやり取りをしています。

時々メールに写真が添付されてきます。
crystalさんには了解していただいているので、
紹介させていただきます。

寝台列車で無錫北京まで11時間かけて
旅行した時の北京の写真です。

后海
故宮の北西にある昔の運河のなごりです。西海(シィーハイ)
后海(ホウハイ)・前海(チェンハイ)と続いてあります。
人気スポットのようです。
その周囲には無数の胡同(フートン)が軒を連ねます。
その多くは元・明・清の時代に作られたものです。


始まりは元の時代に宮廷に仕える文官や武官の家として、
宮廷の周りに造られたもののようです。


胡同の家は中庭を囲むように、東西南北に石造りの
平屋が建てられています。「四合院しごういん」といいます。

胡同めぐりの人力車が人気のようです。
テレビでみられた方があるかも知れません。 

近年の再開発で胡同は次々とビルに
建て替えられているようです。
中国では土地は国家のものなので移転をせまられた
住民は大変です。

后海はこの時は凍っていたそうです。北京の冬は厳しいそうで、
零下になることもしばしばあるようです。

酒楼(バー)が夜ちょうちんに火を灯した様子の写真です。

バーといっても外観は中華料理店です。

写真の手前が后海です。


ご主人が8年間過ごされた学校付近の雪景色です。
恩師に会いに行かれたそうです。




 

 

 

 



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猪にからむ話を尋ねて京都御所西にある護王神社と高尾山神護寺へ

奈良時代末、道鏡に杭した和気清麿呂はそのため配流されることになり、
大隈国(今の鹿児島県)へ
途中猪の群れが現れれ護衛を務めたという言い伝えがある。

(護王神社)
護王神社の祭神は和気清麿呂です。
上記の説話のためであろうか、この神社の狛犬は狛猪で、別名イノシシ神社とも呼ばれています。
その後道鏡失脚をうけて和気清麿呂は中央に復帰し平安京造営に尽力しました。



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