風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

バッキンガム宮殿にかかる虹

2022-09-10 20:53:03 | 時事放談

 エリザベス女王陛下の訃報が発表された直後、半旗が掲げられたバッキンガム宮殿とウィンザー城に二重の虹がかかったそうだ。神様の元に召されたことを、しめやかに世界に知らしめるかのように。あのAppleも、最新スマホiPhone 14シリーズを発表した翌日にもかかわらず、トップページへの情報掲載を中止し、漆黒の背景に女王陛下の写真をあしらって哀悼の意を表した。エッフェル塔も8日は灯を消した。享年96。

 それほど馴染みがあるわけではないが、時折、接する報道から、若かりし頃は凛として、今もなお気品があり、お洒落でユーモアがあって、何より(失礼を顧みずに申し上げるならば)チャーミングな(日本語に訳すと、お茶目な)おばあちゃんのイメージがある。英国オリンピック委員会の公式ホームページは、女王陛下が国家元首として2度大会を開会したと、思い出を振り返る追悼記事を掲載した(東スポより)。

(引用)

 中でも注目したのは2012年ロンドン五輪開会式で演じた役割についてだ。「英国で最も有名なスパイとの極秘任務が、女王と五輪との長く輝かしい関係を永遠に定義づける。女王は、ダニエル・クレイグの最も有名なボンドガールとして主役を演じた」と記述。クレイグ扮するジェームズ・ボンドにエスコートされ、ロンドンの名所を通過しながらヘリコプターで会場に到着。女王とボンドがパラシュートで降下(実際はスタントマン)し、会場に姿を見せるという演出について振り返った。

 同ホームページによると、開会式を演出した映画監督のダニー・ボイル氏は、最初は女王の役はそっくりさんが務めると考え、バッキンガム宮殿に許可を求めた。しかし返答は「こんばんは、ボンドさん」というセリフを言うことを条件に、女王自身が出演を望んでいるというものだったという。

 さらに、女王のこだわりは相当なもので、自身が出演するということを王室の誰にも秘密にしていた。当日、ボンドがバッキンガム宮殿に女王を迎えに行く映像がビジョンに写ると、王室メンバーはビックリ。あ然としたウィリアム王子は「行け! おばあちゃん!」と叫んだのだという。

(引用おわり)

 なんというエピソードであろう。かつて七つの海を支配し、あの(日本のように)小さな島国が世界の陸地面積の二割を占めて、その繁栄と絡めて「太陽の沈まない国」(地球上のある領土で太陽が沈んでも別の領土では出ている)と言われた、昔日の大英帝国の象徴である。今もなお、イギリスだけでなく、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドをはじめ、ジャマイカ、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスの合計16ヶ国それぞれが女王を君主としていた(Wikipedia)。この6月には在位70年の祝賀行事プラチナ・ジュビリーに参加され、二日前には静養先である英北部スコットランドのバルモラル城でトラス新首相を笑顔で任命されたばかりだった。

 何しろ70年間も君臨されたのだ。女王陛下に仕えたイギリスの首相は、第二次世界大戦を勝利に導いたチャーチルに始まって現在のトラス氏まで実に15人に上る。日本の皇室とのお付き合いも、昭和天皇、上皇、天皇陛下と三代に及ぶ(天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻は、9日から3日間、それぞれ喪に服されると発表された)。殆ど全てのイギリス人にとって、生まれたときから女王陛下はそこにおわして、長年にわたって親しまれて来た。いや、決して順風満帆ではなく、故ダイアナ妃が亡くなられたときの対応では、国民との間に隙間風が吹いたが、その後、国民との距離を縮めることに心を砕いて来られた。イギリスの紙幣や硬貨にあしらわれている女王陛下の横顔は、そのときどきの風貌に合うように変えられて来たが、今後はチャールズ新国王のものに変わり、国歌の「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」は、今後は「ゴッド・セイブ・ザ・キング」に変わるそうだ。これはこれで、王室が常に国民とともにあるイギリスらしい国柄を感じる。

 天皇陛下が即位後に初となる公式訪問はイギリスと決まっていたが、コロナ禍で延期になっている。ご招待頂いた女王陛下に直接、お礼を伝える機会が永遠に失われ、さぞ無念に思われていることだろう。それもあってか天皇陛下は、原則として国内外を問わず葬儀には参列されることはない(外国王室の葬儀には皇族が出席)にもかかわらず、此度の女王陛下の国葬に参列される方向で調整が進んでいるようだ。

 その国葬は、「これぞ本物の国葬」と(安倍元首相の国葬に絡めて)揶揄する声が挙がったが、まったく、品がないったらありゃしない。王室は権威であって、(政治)権力とは異なる。国を思う気持ちは、イギリスの王室にせよ日本の皇室にせよ、無私の精神であって、とても(政治)権力が及ぶところではない。王室を政治と比較すること自体がおこがましいのだ。王室に対しても、また政治に対しても、失礼であろう。

 私たちはプラグマティックな世界にどっぷり浸って生きているが、やんごとなき方々の繋がりは伊達ではない。日本の皇室は、ヨーロッパだけではなく、アラブやタイの王室からも敬意をもって遇されている。そもそもヨーロッパの権力政治や王政から離れたところで生きることを決めたアメリカや、皇帝然とする習近平氏なんぞには手の届かない世界で、ある意味で羨ましくてしょうがないだろう。ぎすぎすした権力政治が蔓延る世界にあって、皇室の存在が、とりわけ日本にあっては文化のバックボーンにもなっており、それが1500年もの長きにわたって連綿と続くことを、私は有難く誇りに思う。

 心よりご冥福をお祈りし、合唱。

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