風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

2022回顧①ウクライナ戦争

2022-12-29 21:48:54 | 時事放談

 この一年、プーチンはよくもまあ堂々とウソを言い放ち、残酷であり続けられるものだと、ウンザリさせられた。2月24日という、この戦争が始まった日付まで記憶に残るほどの衝撃は、21世紀にもなって、19世紀的、という意味は、大国が切り取り御免と言わんばかりに小国を侵略する、あからさまな大国主義の時代がかった、ということだが、そんな野蛮が、過去にもイラクやシリアやアフガニスタンで行われたに違いないのだが、よりによって東欧とは言えヨーロッパという、歴史的に先進の地と一般に見なされるところで、白昼堂々、しかも比類なき残酷さをもって繰り広げられているところにあるのだろう。それだけ西側に住まう私たちが平和ボケしていたことの証左なのだろうか。人類はそこまで進歩していなかったのだ、と。

 いや、私はこのブログで、この事件を理解するに困った挙句、ロシア(や中国などの権威主義国)と私たち西側の人間とでは、所詮は生きている時代相が違うのだと結論づけざるを得なかった。かつて宮崎市定先生は、世界はバラバラに、西洋史や東洋史が独立して存在するのではなく、交流がある以上、相互に影響を与え合いながら、地域的に多少の跛行が見られるものの、歴史に並行現象があることを示されたのだった(添付のように)。言い換えると、ロシアや中国のような権威主義国は、歴史上の悲惨な出来事(たとえばロシアにとっては2千万人以上が戦死した独ソ戦やソ連崩壊、中国にとってはアヘン戦争をはじめとする帝国主義による簒奪)へのルサンチマンや、良き時代(たとえばプーチンが尊敬するピョートル大帝の時代、中国の場合は、言うほどの良き時代はなく、今こそ一番良い時代だと、中国共産党は自らの統治の正当性を訴えたいところだろう)へのノスタルジーを、その恣意的な歴史認識教育を通して、国民や人民の間に再生産し、ポスト・モダンを生きる西側の自由・民主主義国とは異なる、独特の気質を形づくっていると言える。

 そして私たちに冷や水を浴びせるように、戦争は誤算や誤認、あるいは独裁者の気紛れ(本人にとっては必然と見るにしても)によって起こるものであることを、否応なしに見せつけたのだった。よく言われることだが、ロシア政治や国際政治の専門家ですらプーチンの戦争(彼に言わせれば特別軍事作戦)を予見した人は稀だったのは、どう見てもそこに利があるとは、また合理的であるとは、思えなかったからだ。そこには、独裁者に忖度する周囲から集まる情報が不正確で不十分な場合が含まれ、そんな情報に基づいて合理的に判断したところで、結果は合理的とは言えなくなる。また、国際政治学者は、リーダー個人の資質や心理に対する研究が足りなかったことを反省された。プーチンは病気で狂ってしまったのではないかと詮索されたが、一応、正気を保っているようだ(コロナ禍でちょっと歪んでしまったかも知れないが 笑)。

 こうして、この一事は、私たちの安全保障観にも多大な影響を与えることになった。パンデミックが流行り始めた頃、新型コロナは世界の歴史を変えるのではなく、歴史の変化を加速するだけのことだという言説に説得力を感じたもので、確かに、通常であれば日本では何年もかかりそうなリモートワークが一気に広がった。その伝で言うと、プーチンの戦争もまた時代の変化を加速した。中国やイランや北朝鮮を含む権威主義国と自由・民主主義国との分断がより一層拡がったし、ドイツや日本で、通常であれば5年や10年はかかりそうな国防費の増額に対する国民の理解が一気に進んだ。

 なお、この変化をなかなか受け入れられない人は、数字ありきの議論ではダメだと、ためにする批判をされるが、GDP比1%前後というこれまでの在り方こそ数字ありきだった。そのため、弾薬は不足し、航空基地に戦闘機を守る掩体はなく、保守部品が手に入らないため完成品をバラして部品を引っこ抜く(これをカニバライゼーションと言う)ことによって、機体は存在しても稼働率は低いという、俄かに信じがたい惨状が語られた。

 もとより2%ありき、なのは事実だ。保阪正康さんは、アメリカの要請によるのではないかと疑われるが、そんな生易しいものではないだろう。自由・民主主義を守るNATO=西側諸国に連帯を示し、西側陣営に留まる意思表示として負担すべき一種の会費だと、主体的に苦渋の決断をしたものだろう。なにしろ、世界の警察官という、お節介ながらも世界の秩序をまがりなりにも支えて来たアメリカの義侠心が、国内の左右の分断によって勢いを削がれ、西のウクライナ危機が東の台湾有事を誘発しかねない状況下で、これまでのようにアメリカ一国に頼れなくなっているのだ。中国の経済力は十分に大きく、もはやアメリカと言えども、ましてや日本一国では太刀打ちできないのは明白だ。ウクライナ危機では、どうせ3~4日、もっても一週間でキーウは陥落するだろうといった目論見を、ウクライナ国民の団結がものの見事に打ち破り、自らの国は自らが守る覚悟を見せたことで、NATO諸国の目を覚まし、支援を引き出したのだった。

 そう、国家の生存や独立は一義的には自衛隊が守るものではあるのだが、最終的には国民自ら立ち上がり守る覚悟がなければ、守るべきものも守れない。ウクライナは、ドローンでロシア領をちょろちょろっと攻撃したが、基本的に(日本の国是とされて来た)「専守防衛」状態で、与えられた防衛装備品からも勝たせてもらえず、持久戦にもつれ込んだ。それを日本人に見せつけたことこそ、ウクライナ戦争の最大の教訓であろう。

 

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