中国政府の対外発表は興味深い。
古来、中国では、天が徳を失った王朝に見切りをつけると、革命(天が「命」を「革(あらた)」める)の名のもとに王朝交代が正当化される。一見、西欧の啓蒙主義思想のように、「被」統治者目線で、人民の支持を失う王朝を倒すことが正当化されるかのように思われるが、どうも中国の場合は統治者目線で、革命を目指す反逆王朝が現王朝の不徳と悪逆を詰り自己を正当化するロジックのように思われる。それは現代の中国でも同様で、だから社会不安を招かないよう中国共産党は社会(例えばメディア)や人民を、ひいては国家を「領導」することになっている。「領導」とは、日本の専門家によれば、指揮命令に服従させる含意があるそうだが、中国では命令でも強制でもなく、影響を与えることだという。まあ、いずれかはともかくとして。
14日付ロイターによると、中国外務省の報道官が定例記者会見で、2021年12月に上海で拘束され2023年10月に初公判が開かれていた日本人男性に対し、中国の裁判所がスパイ行為で懲役12年の判決を下したことに関連し、「日本は中国の司法主権を真剣に尊重すべきだ」と述べたそうだ。報道官は、「中国は法治国家であり、当該案件の処理にあたっては法的手続きを厳格に順守し、関係者の正当な権利と利益を保障している」、「日本は自国民に対し、中国の法律や規定を遵守し、違法・犯罪行為に関与しないよう教育・指導すべきだ」とも述べたそうだ。
中国の法治はRule by Lawで、法の上に中国共産党が君臨し、法を利用して統治するもので、法が最上位にある西洋の法治Rule of Lawとは似て非なるものだ。それでも英語ではないのをよいことに「(中国流の)法治」と呼んで日本人を惑わせる。そして、上の報道官談話で「教育・指導すべき」と訳されているのは、日本国政府は日本国民を「領導」せよ、と言いたいのだろう。強制や命令ではなく、(中国から見て)正しい道を外さないように影響力を行使せよ、ということか。かつて、日本のメディアが中国共産党の気に障ることを書きたてたことに対して、ある日本の政治家は中国の政治家から、政治はメディアを指導(領導)するべきだと言われたらしい。中国は自らの文法なり文脈に沿って(それは必ずしも日本や西洋の文法なり文脈と同じではない)あれこれと指図し、無意識の内にその異質さを露呈する。
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