風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ゴルビーの見果てぬ夢

2022-09-04 13:05:49 | 時事放談

 8月30日、ミハイル・ゴルバチョフ氏が亡くなった。享年91。

 私のような世代の者には、東西冷戦を終わらせたことで強烈な印象が残り、感慨深いものがある。何しろ物心ついた頃には世界は冷戦一色で、一見、平和でありながら(実際に、ジョン・ルイス・ギャディス氏のような学者は冷戦を逆説的に「Long Peace」と呼び、日本はアメリカの核の傘の下で平和と高度経済成長を謳歌した)、他方で、何とも言いようがない閉塞感に見舞われていたのだ(などと感じるようになったのは、世界観が広がって国際政治の現実を知るようになってからのことだが)。それだけに、ゴルバチョフ氏の英断は、歴史は変わり得ること、個人が歴史を旋回させ得ることを実感した。そして此度、西側メディアは好意的にゴルバチョフ氏の死を悼んだ。

 しかし、ロシアにあって、彼は、1991年8月にクーデターに遭遇したように、また、1996年のロシア大統領選に立候補して0.5%の支持しか取り付けることが出来なかったように、かつて旧・ソ連邦を崩壊させ、その後の混乱を招いた張本人として、今なお、頗る評判がよろしくない。とりわけ、「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的惨劇」と見做すプーチン氏にとっては尚更である。ゴルバチョフ氏が眠る病院を訪れ、花を手向けたが、葬儀には出席しないのだそうで、最低限の礼節を示しただけだった(という意味では、死してなお安倍氏を公然と非難し続ける日本の野党やサヨク活動家は、プーチン氏以下かも!? 笑)。

 私たちは、ゴルバチョフ氏のことを多少、誤解しているかもしれない。ガチガチのイデオロギーにまみれた旧ソ連邦・共産主義体制の中から、突然変異のように開明的な指導者が現れたと思うのは、余りにナイーブだろう。強権的な体制の中に見えた仄かな光明・・・僅かながらも現実主義的で、もはやアメリカとの軍拡競争には耐えられず、平和を望む理想主義者の一面を覗かせたところを捉えて、過剰に反応し(1990年にノーベル平和賞を受賞)、期待を込めて見誤ったのかもしれない。プーチン氏によってロシア的なものの本質を見せつけられた今となっては、なんとなくそんなことを感じる。

 「ペレストロイカ」は、市場主義(企業の独立採算制など)と民主制を取り入れる「改革」として知られるが、所詮は、ソ連をコミューンという自治組織でつくりあげようとしながら、スターリンに捻じ曲げられたことを批判的に見て、「レーニンに帰れ」と主張するものだったと言われる。「グラスノスチ」(情報公開)を進めたのは、チェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故そのものより、その情報がすぐに上がって来なかった体制に衝撃を受けたせいだと言われる。冷戦構造の中で、「ダモクレスの剣」の如く第三次世界大戦の脅威に晒され、政治学における「勢力均衡」(Balance of Power)ならぬ「恐怖の均衡」(Balance of Terror)の本質をなす核問題が、核戦争ではなく原発事故という形で現実のものとなったのだ。

 彼はあくまで旧ソ連邦の延命を図ろうとしたのだった。しかし、彼がその強固過ぎるほどの手綱を僅かながらも緩めたことによって、一気に崩壊にまで至ったのは明らかに誤算だった。奥様がウクライナ人だったとは言え、ウクライナの連邦離脱には最後まで抵抗したというし、2016年のインタビューでは、改革の後は、生まれ変わった連邦を維持するつもりだったと語っているそうだ。ゴルバチョフ氏と言えども、ロシア的なものから逃れられるものではないのだ。

 学生時代の国際政治学の講義で、中国は、あれだけ広大な国を(とは、地理的のみならず多民族をも意味する)、軍事力だけで纏めることは出来なくて、(民族主義を抑え込む)強烈な(帝国の)イデオロギーが必要なのだと言われたことを思い出す。中国は、その後、天安門事件で自由を求める学生たちを抑圧し、経済的には改革開放を進めながらも、習近平政権で再び政治的・イデオロギー的な社会統制を強化している。中国といい、ロシアといい、過剰な自己防衛は、陸続きで常に他民族の侵入に晒され(現代であればさしづめサイバー空間で異なる体制の情報や文化が流れ込み)、帝国として多くの少数民族を束ねる大陸国家の宿命でもあるのだろう。ゴルバチョフ氏の悲劇は、この点を多少なりとも見誤ったことにあるのではないだろうか。

 ロシア大統領府は、「ゴルバチョフ氏を冷戦終結に貢献した非凡な国際政治家として称える一方、『血に飢えた』西側との和解を目指したことは大きな誤りだったとの見解を示した」(ロイターによる)。今、「プーチンの戦争」と呼ばれるウクライナ紛争が続く中で、ゴルバチョフ氏が亡くなったのは象徴的な出来事のように映る。プーチン氏は、ロシアに残るゴルバチョフ的な緩みを、力づくで木っ端微塵に砕こうとしているかに見える。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ムクゲ | トップ | バッキンガム宮殿にかかる虹 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時事放談」カテゴリの最新記事