風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

アズ・ア・タックス・ペイヤー

2010-06-19 16:43:17 | 時事放談
 若かりし頃の(なんて言うと失礼!ですが)高市早苗女史が書いた同名の書籍がありました。アメリカの議員秘書として働いた経験談を纏めたもので、中でも表題にあるように、アメリカ人は「納税者として」政治家に質問したり意見したり厳しく追及するなど、税の使途に対して関心が高い様子が描かれ、いかにも日本とは異なるカルチャーが印象的でした。開高健さんも、かつて従軍記者としてベトナムに滞在された時、ヘリコプターで戦場に乗り込んでくる「納税者」を軍関係者がもてなすのを目撃されています。納税は義務ですが、同時にその使途をチェックするのは権利でもあるわけです。そもそも民主主義では、政治権力は腐敗するという性悪説が根底にあり、監視するのが当たり前だと見なす考え方と、アメリカでは確定申告が基本であり、税に関心を払わざるを得ない事情もあるのでしょう。因みにパソコンが世界に先駆けてアメリカで普及したのも、タイプライターに代わるワープロ機能と家計簿ソフト(確定申告書作成に活用)によると言われたほどです。
 そういう意味で、事業仕分けは、結果こそ当初見込みに達しませんでしたが、非効率が日の目を見た効果は計り知れません。
 さて、そこでなにかと槍玉に挙がる「天下り」ですが、かつて高度成長期の大企業グループに所属していた企業人には、やや懐かしい気持ちで思い出す人もいるかも知れません。
 当時、大企業は、事業拡大とともに人手不足を解消するため、こぞって工場を地方に建設したり、効率化の名のもとにスタッフ部門を分社化するなど、企業グループを成長させました。その中で、若手社員には、現場で腕を振るうため、子会社に出向するときには1ランク上の職位が用意されましたし、定年間近の幹部社員には、その経験とノウハウを生かす第二の職場が用意されるといった、人事政策上の副次効果がありました。それを天下りと同列に論じるのは酷ですが、結果として、民間においても天下りの構造に似た定年間近の企業人の処遇ルートが出来あがっていました。
 そんな企業環境は、ここ20年で、すっかり様相を変えました。事業全体の伸び悩みにより、子会社は却って非効率で事業全体の足を引っ張る存在になり、子会社同士を集約したり場合によっては売却する動きが進展した結果、かつての処遇ルートは影を潜め、子会社役員への道が閉ざされた上、本社に居残っても56才を過ぎると給与が下がるといった事態が当たり前になりました。企業社会には、株主という監視の目が存在すると言われる所以です。一方の公務員の世界では、監視のメカニズムが働きにくく、結果として十年一日の如く、組織行動や体質が変らず、今頃になって事業仕分けという形でメスが入るのは遅きに失しており、かつての自民党政権の不作為の罪は問われるべきです。勿論、企業社会と同じで、公務員の天下りを廃止して第二の職場を用意できないのであれば、給与レベルを多少下げてでも一定期間は本省で雇用し続けるなどの処遇を考える必要がありますが、独立行政法人や公益法人を乱造して無駄な仕事をつくるよりも、よほどまともな、否、本来のカネの使い方だと言うべきです。重要なことは、国民の税金の使い方にあります。
 今朝のニュース解説番組で、竹中平蔵さんが、消費税率10%を言う前に、行政のムダを削る必要がある、優先順位を間違えると必ず失敗すると、警告されていました。消費税率引き上げとともに、投資環境整備の一環で法人税率を先進諸国並みに引き下げることも主張され、それ自体に異論は全くありませんが、背番号制など税の捕捉の問題や、国税と地方税との関係など、そもそも税体系全体を見直す必要があります。政権交代は、政策の比較(ちょっとユニークな政策も出て来ましたが)という形で、政治が身近になった効果がありますが、政治ショーで終わるのではなく、株主が企業を監視するように、「納税者」として行政をもっと監視して行く必要があります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする