風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

W杯開催地アフリカ

2010-06-12 20:53:51 | 永遠の旅人
 ワールドカップが開幕しました。私は子供の頃から野球派で、サッカーには詳しくなくて、Jリーグ設立の熱狂からも無縁でしたが、それでも一億総評論家で、ごくあたり前に日本チームの苦戦を予想しつつ、活躍を密かに期待しています。
 このたびの開催地アフリカは、遠い存在です。実はアフリカと日本との関係は古く、桃山時代の狩野内膳筆による「南蛮屏風」にはアフリカ人奴隷が描かれていますし、そうした奴隷の中から、弥介という名前をもらって、織田信長の家来になった人もいました。天正の遣欧少年使節団は、ローマへの往復で、モザンビークにあるポルトガルの城砦に寄航し、嵐のせいで半年間滞在しています。
 私にとってのアフリカは、大阪万博や「素晴らしい世界旅行」などで見聞きして以来、知識はそれほど増えていません。それでもどこか遠くないイメージを持っているのは、従兄の一人が、万博前後の1960年代~70年代に、アフリカに渡って貿易に従事していたからかも知れません(私にはこうした放浪の血が流れているのかも)。今では聴いた話の殆どを忘れてしまいましたが、毎晩、枕の下に拳銃を隠し持っていて、命からがら日本に逃げ帰って来たということだけは、子供心に頭にこびりついています。シエラレオネや象牙海岸(今のコートジボワール)といった国から、家族宛に送られた絵葉書を見せてもらったことがありますが、日本の切手が四角四面であるのと対照的に、三角形やダイヤモンド型など形も様々、色とりどりだったことと、素朴なアフリカの人々の姿や、青い海などの素朴な自然が、鮮明に記憶に残っていて、外国に興味を向けるきっかけの一つになったのだろうと、今にして思います。
 現在、アフリカは53の独立国を抱えますが、ワールドカップが開催されることになったのは、仏領を中心とする17ヶ国もの国が独立した「アフリカの年(1960年)」から50年の節目を迎えることと無縁ではないでしょう。しかしアフリカ諸国は独立後も政情不安で、部族対立による内戦やクーデターが絶えませんし、先進国との経済格差が広がる南北問題や、発展途上国の中でも産油国と非産油国との間で経済格差が広がる南南問題は今なお続いています。
 市場調査会社や当社をはじめとして民間企業が世界市場を分ける時には、EMEA(Europe, Middle East and Africa)として、かつての宗主国だったヨーロッパ諸国とひと括りにされますが、最近は、中国による資源外交に席巻され、中国やアメリカとの交易が増えていると言います。日本の影は薄いのかと言えば、マンデラ元大統領が27年間の投獄生活を終えて初めて乗り込んだ車はトヨタだったそうですし、同社の南アフリカへの工場建設は1966年とブラジルと並んで早い時期に行われ、今も25%前後の圧倒的なシェアを誇り、30年間トップの座にあるそうです。東アフリカに行くと、見かける車の9割は日本の中古車が占め、地元の人たちが普段利用するミニバスの多くはトヨタや日産のバンが使われているので、このタイプの車を「ニッサン」と呼ぶ人もいるぐらいの浸透度だそうです。
 植民地時代の「惜しみなく与える」ばかりで貧困に喘いで来た時代から、対等のパートナーとして自立出来るよう見守って行く必要がりますし、少子化で人口が増えない先進国をよそに、遅れてきた新興国群として、今後、世界市場での比重が増して行きそうで、目が離せません。
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