友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

22歳の詩

2014年04月16日 19時21分54秒 | Weblog

時間が、またたくまに流れてしまいました。

いくつかのことが、ぼくのまわりに起り

いくつかのことが、ぼくのなかに起り

そして流れてしまいました。

けれどもぼくは、相変わらずです。

 

強く

勇士のように生きられたらと思うことは

すでに尻込みだと知っていながら

「とほうにくれて、生きるよりしかたなかった」とは、

なんと、みじめなことです。

 

ぼくは

自分をつくっているのだろうか。

 

ぼくは、どっかりと

すべてをおおいつくすほどになりたいと思ったのに

生きることにも

愛することにも

なぜ、弱々しい。

あるいは弱々しくふるまう。

またあるいは、ふるまっていると思い込もうとする。

 

何もわかっていやしないのだ。

誰にも。

 

けれども、時間の経過だけは真実です。

ぼくらは、長く生きました。

「人生とは何であるか」‥‥たとえ誰かが、

どんなふうに説こうとも、実感としておおよそわかってしまっているのです。

ある時は なすがままであり

ある時は 何かができるのではないかなどとのように。

 

病身の少女の瞳が

健康な少女の瞳よりも

はるかに深く輝いているのを知っていたので

激しく求め合いながら

あらゆる行為をつくして、愛の真実を

そもそも男と女の真実を

つきつめたいと望みながら

傷つけ合って別れてしまう強烈なドラマを

ぼくは演じたいと思っていました。

 

土曜の夜に

明日を思いわずらう必要はない。

 

何かのドラマが一瞬のうちに始って終れば、

人は生きていてよかったと思うだろうか。

生きていてよかったと‥‥。

 

古いものは、すたれてしまえばよい。

古いものは、すべて‥‥。

未来も、いつのまにか古くなり、

そしてすたれる。

時間の経過だけが、たしかな真実をかたちづくる。

だからぼくは、今を精一杯生きたい。

               1966年10月

 

大学4年、22歳の時に書きました。

今日は私の70歳の誕生日です。ありがとうございました。

コメント (1)
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