友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『モダン・アートの哲学』と「STAP細胞」

2014年04月02日 17時55分12秒 | Weblog

 先日、4歳の孫娘が私の本棚からハーバート・リードの『モダン・アートの哲学』を取り出してきて、ペラペラとめくっている。「こちらの方がいいんじゃーない」と言って、絵本を何冊か見せた。チラッと絵本を見て、「それじゃーないの。こっちがいいの」と言う。私が合点のいかない顔をしていると、「絵しかないからダメ」と言い切る。『モダンアートの哲学』は、昭和30年にみすず書房から発行された活字本で、私が購入したのも昭和40年くらいの古いものだ。

 文字は小さく、行間は狭く、近頃の本と比べると文字がぎっしり詰まっている。4歳の子が読みたくなるような本では決してないのに、どうしてこの本が気に入ったのかと思って見ていた。孫娘は机に向かうと『モダン・アートの哲学』を開き、まるでそのように書いてあるのかと思うように、「お庭に出てはいけません。まだ、お部屋で遊ぶ時間ですよ」と、勝手に物語を話し出す。「ええ、いいわよ。おやつの時間にしましょう」。何のことなのかさっぱり分からないけれど、孫娘の中では辻褄の合った物語になっているのだろう。

 今朝の新聞もテレビニュースも、小保方晴子さんの「STAP細胞」論文について、理化学研究所の調査委員会の最終報告と小保方さんが強く反発していることを取り上げていた。ノーベル賞レベルの研究と言われて期待が膨らんでいたから、「改ざん」とか「捏造」と調査委員会から断定されると、小保方さんの可愛い笑顔を思い出してガッカリした人は多かったはずだ。「STAP細胞」そのものが存在しないのではないかとさえ思えてくる。

 小保方さんは私の4歳の孫娘のように、読めない文字がぎっしり詰まった本を読んだのだろうか。それでもいつか、彼女は普通の人々にも分かるように話してくれるだろうと希望を抱いてしまうから、私も相当な晴子ファンなのかも知れない。高校生の時、友だちの家でやはり3歳か4歳の子だったけれど、絵本をスラスラと読んでくれる子がいた。「文字が読めるの?」と家の人に聞くと、「覚えているだけよ」と教えてくれた。それでも、絵を見ればそこに書かれている言葉を覚えてしまうのは天才だと思った。

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