友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

若者たちの未来

2014年04月07日 18時40分44秒 | Weblog

 テレビニュースで、若い女性が東京に集中していると報じていた。私たちの時代も東京は憧れの街で、「東京へはもう何度も行きましたね。君の住む花の都」といった歌が流行ったりした。中学の同年でも何人かが東京の大学へ進学した。田舎の普通の中学校だから、当時は高校へ進んでも大学まで進んだ者は1クラスで10人に満たなかったと思う。そして東京の大学へ進学しても、東京に留まった者は不思議と少なかった。

 大学時代に東京かその周辺に実家のある恋人ができて、東京で就職した人もいたが、中には恋人を連れて故郷で就職した人もいて、多くの人が生まれ育った愛知県に戻ってきた。テレビニュースでは故郷では就職先がないけれど、東京では住居と働く先まで斡旋してくれるという。しかし、正規労働でないために働けなくなって、挙句の果てにキャバクラ嬢になっている女性たちがいた。

 1960年代は好景気で、労働が生産に追いつかず、各地から若者が「金の卵」ともてはやされて工場労働者として送り込まれた。工場が終ると夜間高校へ通い、定時制大学や通信制大学を卒業する勉強熱心な者もいた。企業の中で出世し、土地を買い家を建てる者もいた。東京だけでなく、名古屋や大阪、広島、福岡、札幌などの大都市圏が形成され、その近郊に住宅街が造られていった。力量のある者はさらに上を目指すことができた。私の住むマンションの友人・知人は県外の人が多く、この地を最終の住処としている。

 今、中国は好景気で、農村から都会へ働きに出る若者がこれを支えている。『ワイルド・スワン』にも出てきていたが、中国では今も、農民は都市に戸籍を移せないようだ。クビになっても農村で生きていけるというためなのか、都市戸籍の者とは福祉や医療など多くの面で差別があるという。改革開放政策が実施されたのは1980年以降で、ほとんどが高等教育や職業訓練を受けることなく現場に送られた。そのため定着率は低く、3年以内に居住地を変更して職を転々とする者が87%になるという。

 最近の中国ではウツ病となる若者も多いそうだ。目まぐるしい社会の変化についていけず、引きこもりになってしまうのだろう。日本の若者が将来に期待を持たないように、中国の若者も過渡期に立ちつつあるようだ。人間はどこにいても、同じようなことを繰り返している。

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