午後から強い風が吹きまくり、せっかく植え直した椿がまた倒れてしまった。鉢植えではやはり限界なのだろうか。悔しいというより、なぜか絶望に近い気持ちがする。マンションの周りの桜も大きく揺らいでいるが、地上30メートルの我が家のルーフバルコニーとは風の強さが違うようだ。ここで樹木を育てることが間違っている。こんな無防備なところに置かれた椿が可哀相だ。
なすがままにしておけばよいものを、ただ楽しむために、樹木にとってはとても辛い環境に移してしまう。風はますます強く吹いている。北側の部屋のエアコンが風を受けてコツコツと鳴る。風呂場の換気扇からも微かな音だが、何かが息をしているように聞こえる。ガラス窓の隙間を風が通り抜けようとしてピューと高い音を立てる。自然が怒っているようだ。自然を支配したかのように錯覚した人間を罰しているのだ。
南側の桜はマンションに遮られ、それほどの風を受けていないが、それでも時々向きが変わるのか、桜吹雪が舞い上がる。桜はまだ花ビラを離さずに頑張っているけれど、来週の半ばには見納めになってしまうようだ。ルーフバルコニーのチューリップはかなり背が伸びてきた。花が咲いていたならこの風で倒れてしまっただろう。今はまだ、風に耐えている。今朝、居間から花たちを眺められるようにと配置換えをしたことが椿やツツジには仇になってしまった。
このところどうもやることがちぐはぐだ。良かれと思ったことなのに逆の結果になっている。すると「こんなものさ、人生は」とさえ思えてくる。「裏目になるのは、日頃のお前の行いの結果だ」と神様が言っているのかも知れない。でも、妄想に陥ることはあっても不正を行なったことはないのにと思う。もうすぐ市議会議員の選挙が始まる。すでにたくさんの人がチラシを配っているし、街頭演説を行なっている。4年前とは大違いだ。情報がより多く提供されるのはよいが、根拠のない政策の羅列もある。民主主義がしっかり根を張るには時間がかかる。