友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

調査捕鯨は誰のため

2014年04月01日 18時48分09秒 | Weblog

 穏やかな春の陽を受けて、桜はいっぱい花開いていた。桜の妖精のような女性が現れて手招きする。「私をお呼びですか?」。私は恐る恐るたずねた。「そうよ、お疲れのようですね。何か心配でも?」と言い、優しく少し笑った。色の白い女性で、頬の辺りがピンク色だった。私は何を言うべきか迷った。「いいわよ。私の胸におもどりなさい」。言い終らないうちに女性は近づいてきて、私を胸の中に抱き入れた。私はいつの間にか小さな赤ん坊になっていて、乳房の甘い匂いにうっとりとしていた。エープリル・フールの朝、まどろみのなかで夢をみた。

 大和塾の市民講座の講師をお願いするため、友だちと一緒に各務原市へ出かけた。川の堤防に植えられた桜並木が美しかった。車の中は暑いくらいで、もうすっかり春になった。街中に白色や黄色や赤色など、明るい色の花が溢れている。

 昨日、オランダのハーグにある国際司法裁判所で、南極海での日本の調査捕鯨は国際捕鯨取締条約に違反すると、判決が言い渡された。以前にも触れたけれど、日本はなぜ南極海で鯨を獲るのだろう。鯨を捕獲しているのは、日本の何という会社なのか、それとも国の機関なのだろうか。いつだったか覚えがないが、捕獲した鯨の肉が横流しされた事件があったけれど、鯨の肉はどんなルートで市場に出されるのだろう。調査だけなら、捕獲して肉にして売る必要はない気がする。世界が鯨を保護せよと言っているのに、なぜ日本は受け入れられないのだろう。

 鯨を食べるのは日本古来の食文化だと言う。確かに長崎や和歌山などでは鯨を捕えて食べてきたけれど、捕鯨船団を組んで南極海まで出かけるようになったのは戦後のことだろう。国際司法裁判所は日本沿岸での鯨漁までは言及していない。判決を受け入れて捕鯨を中止しても、そんなに影響は出ないだろう。もし国の機関が行なっているのなら、捕鯨船団に関係する人たちに他の機関に移ってもらえばいいし、民間会社なら生活保障もやむを得ないだろう。

 鯨の肉が小学校の給食に出た私たちの世代はちょっと寂しいけれど、日本人だけの地球でない以上、判決を受け入れるより他ないと思う。

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