友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

大きく変わった

2014年04月12日 18時46分05秒 | Weblog

 出産予定日まで1ヶ月となった次女は、東京出張の機会に名古屋まで足を伸ばしてくれたダンナと連れ立って出かけて行った。デパートへ赤ちゃんの物を買いに行くという。この前の診察では順調に育っているようだ。「先生がね、髪の多い子ですよって言って、クスッと笑ったけど、どういうことだと思う」と不思議そうに言う。エコーの映像でそんなことまで分かるのか、そのことの方が不思議な気がする。先生は髪の少ない次女に似なくてよかったですねということなのだろうか。いや、髪が少ないのは私だけか。

 赤いチューリップと白いチューリップは咲き揃ってきたけれど、ピンクや黄色や紫色のものはまだつぼみにもなっていない。今年は一斉に咲くことはないのだろうか。来週の半ば、私の70歳の誕生日くらいに満開になるはずだが、そんなにうまくいかないかも知れない。明日は市議選挙の告示で、朝から街宣車が走り回っている。我が家にやってくる候補もいるが、これまでの選挙とは違う雰囲気があると言う。これほど事前にチラシが多く配られたことはなったし、街宣車が事前に走り回るのも珍しい。

 次女は病院で行なわれる母親教室に参加し、高齢出産の人が他にもいて安心した様子だった。「出産の時期も幅広くなってきたけど、夫婦のあり方や家庭のあり方も随分変わってきたみたい」と、教室で出会った妊婦さんの話や、同世代の友だちのこと、新聞・テレビで報じられる人たちなどに触れ、「最近の風潮は気に入らない。昔の私は全面的に受け入れられなかったけど、今は少し分かる。いろんな形があることは事実だから。少しは大人になったでしょう」と話す。絶対にこうでなければならないという理想が彼女を支配していたから、それから脱皮できただけでも大きな成長だ。

 私は、自分は成長しているだろうかと自問する。諦めてはいけない。「求めよ、さらば与えられん」。もう少し、自分の人生を見極めるために努力してみよう。「生きている限り、生きるのです」と誰かが言った。ミカンの木に冬越したアゲハチョウのサナギが3匹いる。サナギのままで終るのか、羽化するのか、それは神様がお決めになること。サナギも私も時を待つしかないが、じっとしていればいい訳ではないはずだ。

コメント
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