友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

街宣車が多くなった

2014年04月15日 18時54分24秒 | Weblog

 「なんだか、街宣車が多いねえ」と言う。市長選挙は現職と新人の一騎打ちだが、市議選は21議席を目指して28人が立候補しているからかなり喧しいことは確かだ。立候補者の数としては先回と大きな違いはない。ただ、やってくる街宣車のアナウンスを聞いていると、かなり変わった気がする。以前はほとんどの候補者が街宣車に乗っていなかった。街宣車から聞こえてくるのは、候補者名を挙げるウグイスの声ばかりだった。

 ところが今回は、候補者が自ら街宣車に乗り込み、まだ少ないけれど街頭演説も行なっている。街宣車のアナウンスも候補者の政策を短く告げて廻っていく。無党派でやってきた候補者が、「急にみんなが自分のスタイルを真似するようになった」とぼやいていた。本来の選挙運動になってきたわけで、大いに自己主張すればいい。議員候補なのに首長選のような政策を掲げている候補者がいるから、そうではないことを示す選挙運動をすればいい。

 以前は地域推薦を受ければ安全圏入りだった。地域の長老たちをまとめておけば当選できた。そうした地域の住民が少なくなったし、新しい住民に長老の威厳が通用しないこともあって、地域推薦を受けただけでは当選に必要な数に達しなくなった。以前なら、街宣車はその地域だけをウグイスを乗せて廻り、候補者は有力者といわれる人のところへお願いに廻ればよかった。そうした運動スタイルが崩れてきたらしい。

 地域から出て、1人でも多くの有権者に名前を知ってもらう。いや名前だけでは投票に結びつかないので、政策を訴える。演説の中身よりも、演説がうまいかが大きな選択肢になってきた。若い候補者が自転車で街中を走り回り、小気味よい口調で演説していくと、何を訴えているかよりも「格好いい」と見えるようだ。若いというだけで、やる気があると思えるようだ。実際、70歳過ぎの候補者の姿はずるそうに見えてくると言う。

 政治家に正義感を感じるには若さが必要なのかも知れない。年を重ねると取引上手の策士になってしまうようだ。年老いてから正義感に満ちた情熱的な政治家という人を私は知らない。先輩が「年寄りは若い者に譲る気持ちを持たないとダメだ」とよく言う。なるほどそのとおりだと思う。ただ若いだけの直線的な候補者は恐い気がするが‥。

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