友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

頑張れるものが無いのは寂しい

2024年06月08日 18時06分19秒 | Weblog

 梅雨の時季に咲くアジサイが私は好きだ。子どもの頃、家にはたくさんのアジサイが植えられていた。アジサイを見ると、そんな昔を思い出す。新聞やテレビが、咲き始めたアジサイを特集しているのを見ると、ちょっと出かけてみたい気になる。

 私の住むマンションも、かつてはアジサイやキンモクセイやツバキなどの花木が植えられていた。マンションの住人で樹木の世話をしている人は、せっかちな性格なのか、やたらと剪定したがり、今ではアジサイもキンモクセイもツバキも、僅かしか残っていない。

 アジサイの花芽は、気温が下がり始める前年の秋に形成されるのに、これを剪定してしまう。「えっ、大丈夫なの?」と尋ねると、「大丈夫。春には新しい芽が出て来る」と言う。春に伸びて来る枝には花は咲かないのにと思っても、言える雰囲気は無かった。

 マンションの庭の花についても、考え方はいろいろで、受け持っている場所による違いは明白にある。学校や公園の花壇のように整然と花があるのが好きな人と、イングリッシュガーデンというと聞こえがいいが、花も雑草も混在しているような雑然とした花壇にしている人といる。

 私は几帳面な性格なので、キチンと植えられた花壇が好きだった。それなのにどうしたことか、最近ではあまり手入れをしない雑然とした花壇を好むようになってきた。年齢によるせいなのかと思うが、自分の身体が若い時のように作業できないためでもある。

 どんなに理想論を掲げても、自分がそうできなければただの空論である。ヒロヒコ君に「物事を片眼でみてませんか?」と注意されてしまった。もし、私が迷惑を受けている地域の住民なら、率先してゴミ拾い隊を結成するのだが、現実はきっとそう出来ないだろう。

 頑張れるものが無いのは、情けないが仕方ない現実だ。

 


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3 コメント

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Unknown (ヒロヒコです)
2024-06-08 21:13:56
最終的には個人レベルで自宅のゴミと一緒に文句を言いながら片付ける、わざわざ「片付け隊」を組織してまでしなくても良いかと。トイレも個人の判断で貸せば良いので「貸さないのは悪い」ではないでしょう。仮にゴミ籠を設置しても散乱するゴミは減りません、逆に場所によって持ち込みゴミや不法投棄が増えて逆効果の場合もあります。

費用も含めて「誰が」「いつ」「どんな方法で」処理するかはいろいろ考えられるので検討の余地はありますけどね。
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Unknown (さだしです。)
2024-06-09 08:46:40
ゴミでなく資源の話を。私は長年消防団員として我が町を見守って来ましたが
8年ほど前に勤労32年で退職し、現在は町内の保険委員として、毎週火曜日の
分別資源ステーションの見守りをやっています。
原則火曜日の朝にステーションに持って来る規則なのですが大半は前日の夜に。
共働き世帯が当たり前になって来たので、これも仕方ない事と、大目にみてますが。

近くに小学校の集団登校の集まる所があるので、ペットボトルや缶などを持って来てくれる。
とても良い社会勉強になっていると思います。「ありがとう」と声を掛けて見守っている。
何故分別するのかを各ご家庭で教えてくれてると信じて…。
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Unknown (ヒロヒコです)
2024-06-11 19:14:05
自宅から近いところにゴミステーションが2箇所あるので有り難いです。
施設に入所されましたが近所のお婆さんがゴミステーションや公園をボランティアで掃除などしてくれてました。しかし町内総会で「ゴミ袋だせ」と要求してそれはボランティアじゃないだろうと皆から反発されてました。
確かに、見返りを要求するボランティアなんて…
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